君のことよく知らないけど 〜延長戦〜

5. リオン

 仕事が一段落したので、飯でも食いに出るかと立ち上がったところで、気が変わった。
 ダフネに行って、そこで飯を食えばいい。あの店のママは俺を気に入ってくれていて、何をどれだけ飲んでも、逆に飲まなくても、料金が大して変わらない。飯をたらふく食っても、きっといつもと同じ値段にしてくれるだろう。もちろん、ママが自腹を切っている訳では決してなく、俺より歳も年収も遥かに上回る爺さんどもにつけているらしい。ダフネは最高の店だ。
 シャワーを浴びて着替え、家を出る。〈マガ〉の登録料を払わなくなったので、その分金が余っている。通りに止まっているタクシーに向かって手を上げ、乗り込んだ。
 運が悪いことに、運転手がAIでもアンドロイドでもなく、人間だった。俺が珍しいのだろう、じろじろとミラー越しに視線を投げてくる。殺してやろうかと念じながら、タブレットを起動する。クラウドからファイルを呼び出し、マネージャーに送信しているうちに、店についた。
 俺が入店すると、早速ママが近寄って来て、声をかけてくれる。ダフネの客は爺さんが多い。俺ぐらいの歳の男はキャストが喜ぶからありがたいのだそうだ。キャットレイスだからとは言わなかった。俺がうんざりしていることを察しているのだろう。出来た女だ。流石、こんな店でママをやっているだけのことはある。
 席へ通されると、待ち構えていたように二人のキャストが俺の両隣に座った。一人は女で、若く、見たことのない顔。新人らしい。この店はよく俺に新人の女をヘルプでつける。俺が女にあまりしつこく絡まないからだろう。もう一人は男で、何度か遊んだことのあるやつだった。こいつには何回かしつこく絡んだ記憶がある。理由は単純で、見た目がタイプだから。推定年齢二十代前半、ラテン系。俺の勘では、メキシコの血統。真面目そうな顔つきで、俺を見るなり服装について突っ込んで来た。
「ルカさん、猫なのに犬の服ですか」
「うるせえな」
 自分が猫なせいか、俺は犬が好きだ。このラテン系イケメンも犬に似ている。犬のような無邪気で賢そうな瞳で、俺のTシャツの中のセントバーナードと目を合わせてにこにこしている。
「何か食べるもんある?」と誰にともなく聞くと、ママから何でもあるわよと返事がある。腹減ってるから何か食わせてと言うと、ママが何やら意味ありげな表情で微笑みながら奥へ消える。秘伝のレシピでも披露してくれるのだろうか。
 女が作ってくれた酒を舐めながら、その辺にあった豆やらチーズやらを摘んで待っていると、突然、遥か上空から「こんばんは」と男の声が降って来た。顔を上げると、シャンデリアの光をこれでもかと背負った菅原三怜が、プラチナブロンドと水色の瞳を光らせて俺を見下ろしていた。
 俺は絶句し、三怜は美しく微笑みながら席についた。運んで来たサービングカートから、ママの「何でもあるわよ」の言葉通り、前菜やら何やらが乗った皿を次々とテーブルに置き、俺が呆気に取られている間に当たり前の様に女の隣に座った。
 俺が呆然としているのを不審に思ってか、ラテン系が三怜を紹介し始める。
「ルカさん、彼、新人のミレイです。でっかくてびっくりしたでしょ。193もあるらしいですよ」
「ああ……デカいね」
 それだけ答えるのが精一杯だった。俺がルカさんと呼ばれていることについて、三怜は何の反応も示さなかった。
「食べないんですか? ルカさん」
 俺はぶったまげて、持っていたグラスを落としかけた。何の反応も示さないどころか、俺をルカさんと呼び話しかけてくるとは。
 俺の記憶では、こいつには本名を名乗り、連絡先も教えた。電話でも何度も本名を呼ばれた。リオンさんリオンさんと呪文のように呼び掛けられ続け、ついに端末をぶん投げたくなって着信拒否をしたくらいだ。
 他人の空似の可能性を考え、もう一度その顔を凝視する。ダフネの”本物の”シャンデリアの下で、とろける様なテリを放つブロンド。驚くほど大きく、澄んだ冬空色の虹彩。紙に設計でもしたかの様に完璧な高さとバランスを誇る鼻梁。作り物ではない証に、本物の血の流れを感じさせる赤い唇が、不気味な微笑みをたたえて濡れ光っていた。
 間違いない。こんな顔の人間は何人もいない。正真正銘、こいつは俺が数週間前に〈マガ〉で買ったミレイ・スガワラだ。こんなところで何してやがる? ダフネに引き抜きでもされたのか? マガの方が給料は良さそうなもんだが……
「ルカさん?」
 三怜が相変わらずにこにこしながら俺に話しかける。マガで会った時はもっと無表情な男だった気がするが、ダフネでは遣り手のママに厳しく指導されているのだろうか。
「あ、ああ……食うよ」
 俺は一旦考えるのをやめ、食うことに専念した。手の込んだ料理の数々に視線を釘付けにしようとするも、三怜の驚異的な長さを誇る脚がどうしても視界の隅に入り込み、味も何もわからない。
「お酒、同じのでいいですか? 何か他のにします?」
 女が空になったグラスを手に訊いてくる。同じのでいいよと答えると同時に、三怜が、
「僕が作ってもいいですか?」
 と訊いてくる。既視感。
「……任せるよ」
 もちろん、任せてはいけなかった。サラリーが低くなるのに転職する理由はひとつだ。こいつには目的がある。


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