君のことよく知らないけど
店から通りに出ると、案の定行き交う女は百発百中で三怜を見た。隣に並んで分かったが、こいつ、多分190くらいある。昔、183センチある木星圏出身の女とデートしたことがあるが、彼女よりデカい。日本人は小柄だと聞いていたが、眉唾か? 戸籍上はっつってたから、血は違うのだろうか。
三怜は他人の視線に慣れているのか、ジロジロ見られても平気で俺と手を繋ぎ続けた。関節の太いデカい手で握り込まれると、結構痛い。顔に似合わず手汗もひどい。
「三怜くん、ちょっと手、痛えかも」
「えっ? 何、て? 手?」
神経質そうに首を傾げて、血走った目で俺を見下ろす。よく見ると首筋に汗が光っていた。それを見たら麻薬中毒患者の姿が思い出された。なんかこいつ、やばいんじゃないの?
「そう、手。力、ちょっと強い」
「あっ、ご、ごめん……ごめんなさい……」
ふわっと手の力が緩んだが、離してはくれなかった。
「あの、つな、繋いでるのも、だめ? いやですか?」
「嫌じゃないけどね」
「あ、じゃあ……」
三怜は可愛い顔して、いわゆる恋人繋ぎというのか、俺の指の間に自分の指をぬるりと絡めてきた。じゃあ、の意味がわかんねえ……。
「リオンさん、ホ、ホテルがいいですか?」
「ああ、そーね……つかホテル以外なにかあんの?」
「あ、俺、俺の、家……」
「家ぇ?」
思わず変な声が出た。
「あの、家、俺の家、すぐ近くだから……お金、かかんないし……」
「へえ。職場近くていいね」
家なんか行きたくなかったから、適当に返事した。
「俺の家、じゃ、だめですか……?」
酔ってるくせに、俺の返事に流されることなく、押してくる。なんかまたちょっと手が痛くなってきたのは気のせいだろうか。
「自宅に客上げたりしてんの? 危なくない?」
心配してるフリをして、話を逸らそうとする健気な俺。
「え、あ、の、上げたことはない、ですけど……」
「あ? じゃいつもはホテルってこと?」
「え? いつも、は……無いです。俺、アフターも同伴も、無いです」
「無いって? 何が? どういうこと?」
また訳わかんないカンジになってきた。でも、三怜の会話の出来ないのは酔ってるせいだと思ってた俺は、飲ませた自分が悪いんだからと腹を立てない様に自制していた。
「アフター、今日、初めてです。俺」
「え、そうなの?」
「はい」
初めてかあ、とちょっとニヤケそうになった。でも家はなあ。
「家、店が借りてくれてるとこです、キレイだし、新しい……し、安全……警備員の人もいます」
不動産屋みたいに俺にセールスしてくるじゃん。必死な感じがかわいいなと思ってしまう。
「ってか三怜くんは怖くないの? 初対面の客なんか連れ込んで」
「怖くないです。家、なんもないし……俺、多分リオンさんより力つよいし……」
ちょいちょいシツレーなんだよなこいつ。何年CSしてたんだよクソガキ……。そう思いながら横目で睨むと、三怜は充血した目で舐める様に俺を見下ろしていた。
結局、めんどくなったのと、馬鹿だけど悪い奴じゃないだろうという直感と、〈マガ〉への信頼、その他諸々(主に性欲)に連れられて、俺は三怜のマンションに足を踏み入れた。
聞いてた通り、どデカく、真新しい、悪趣味な高層ビルだった。エントランスには紺色のスーツを着た40がらみの痩身の男が不機嫌そうに立っている。三怜が俺の手を引いてその前を通ると、意外とハキハキした声で「おかえりなさいませ」と礼なんぞしやがる。俺は彼の目にどう写っているだろう。
「8階なんです。リオンさん、高いところ平気ですか?」
左手でエレベーターのボタンを押しながら三怜が言う。右手はまだ、俺の指を絡めとったままだ。
「別に平気だけど……なんで?」
高い所ったって、マンションの共同廊下なんかでビビるやつがいるのだろうか。高所恐怖症のやつが周りにいないから知らないが……。
「あっ、キャットレイスだから平気に決まってますよね……あはは」
俺の質問にも答えず、三怜は一人で笑っている。
「な〜んで? ってば」
ちょっとうざかったので膝でその長い脚を蹴ってやると、三怜は「ご、ごめんなさい」と嬉しそうにニヤニヤしながら前髪を揺らした。
「あの、エレベーター、透明だから……ガラス? で出来てるっていうか……」
「ふーん」
つくづく成金趣味のイヤミなマンションだぜ。
洒落た音を立てて到着を知らせる透明の箱に乗り込むと、人工的な中庭を見下ろす様にしてするすると上空へ運ばれる。
「リオンさん……やっと二人っきりになれましたね……」
広がる夜景を無我の境地で見下ろしていたら、三怜が突然後ろから抱きついてきた。
「なっ……なに、急に……」
正直ぎょっとして尻尾がビン立ちになった。触りに来たんだから歓迎すべきなんだけど、ボーッとしてたからびっくりした。
「今ちゅーしたら誰かに見えちゃうかな……?」
見えちゃうかな? とか言いながら三怜はもう俺の口ん中に舌を突っ込んでいた。俺より身長が高いのをいいことに、後ろから覆いかぶさる様にして俺の顎、というか首、というか喉をそのデカい手で掴み、無理やりネロネロとやってくる。
見えちゃう状況は二人っきりとは言わないんじゃないだろうか……なんて頭の中でツッコミながら、俺の顔を撫でるさらさらした金髪の感触を楽しむ。
三怜のキスは、上手かった。キスしながら俺のケツを痴漢みたいなキモい手つきで撫でていたが、ケツより唇に意識がいくくらい、上手かった。『馬鹿はエロいことが上手い』という俺の持論が、今夜証明される予感がした。
三怜は8階に着くまで俺の口をしゃぶり回し、エレベーターの扉が開くと湿った音を立てて俺を解放した。ケツを撫で回していた手で俺の二の腕を掴むと、大股で廊下をスタスタと進む。買ったのは俺のはずだが、まるでコイツに買われた様な錯覚を覚える。
「こ、ここ。8087が俺の部屋なんです。あの、ひとり暮らしです」
「だろうね」
誰かと住んでたら俺もお前も大馬鹿だ。
8087と金色の印字を浮かべた灰色のドアを開けると、広い玄関にスニーカーやらサンダルやらが転がっているのが目に入る。シューズボックスであろう棚の上には、おそらく請求書やらDMであろう郵便物がバラバラと散らばってる。典型的な一人暮らしの男の部屋。
三怜は黒い革製のスニーカーを脱ぎ捨てると、
「掃除の人、来るんで……キレイだと思いますけど、スリッパ、あった方がいいですか?」
と目を泳がせながら聞いてきた。
「いらね」
と答えながら俺もサンダルを脱いだ。脱いだ靴が並ぶと、三怜の靴のデカさに圧倒される。足がデカいのって、なんか可愛くねえなあ……。
三怜は廊下の真ん中で、俺が素足になるところを黙って見ていた。「あ、あの……」
顔を上げると、口をパクパクしてから、
「あの、なんか飲みますか? それとも……それっ、それとも……」
白い頬がパステルピンクに染まって、俺のケツを触ってた手が何かを握る様にグーパーしている。まぁ可愛いけど、ちょっとキモい。
「喉渇いたなぁ、水かなんか、ちょうだい」
「は、はい」
廊下の突き当たりのドアを開けると、広いリビングに出た。三怜は黒い冷蔵庫を開けて、ミネラルウォーターのボトルを取り出すと、カウンターキッチンに並んだグラスの一つに注いで俺に手渡してくれた。受け取りながら、人の家に入るのなんて何年ぶりだろうと考える。他人の家は苦手だった。正確には、他人の家の匂いが。
三怜の部屋は、あまり匂わなかった。こいつ自身の匂いと、なんとなく精液の匂い。掃除の人がどうのと言ってたから、プロが定期的に来るんだろう。キレイなグラスが並んでたとこを見ると、家政婦かなんかも雇ってるのかも。こいつが荒稼ぎしてんのか、〈マガ〉の財産がパねぇのか。
「リオンさん、シャワー、浴びますか?」
「は? あ、あぁ〜……だね。借りていい?」
「はい、あの、でも、あの俺、浴びなくてもいいっすけど……」
「あ?」
も〜、こいつ嫌。と一瞬思った。なにが言いたいのかわかんねぇ……。
「浴びたくないなら、まあ、いいけど……」
「えっ? あ、じゃ、じゃなくて……リオンさん……そのままでも、あの、後ろ……」
ん〜〜〜〜? 俺は首を傾げた。リオンさん。そのままでも。後ろ。
「え、俺が? 浴びなくてもいいってこと?」
「はっ、はい……」
「後ろってなに?」
「え、うし、後ろは……後ろ……。あっ、リオンさん、タチですか?」
「わりかし」
「あ、あぁ〜……そう、ですか……そっかぁ……」
なにこいつ、アナル無理とか言うんじゃねえだろうな。俺の顔が険しくなったのを見て三怜が、慌てた様に付け足した。
「あっ、だい、大丈夫です。俺、どっちでも……じゃ、じゃあ、ウケやりますね」
なんだかいつの間にかものすごい近くに寄ってきて、俺を見下ろしながらニコニコしている。
「できんの? 無理してない?」
「してないです。リオンさんなら、なんでもいいです俺……あの、でも……」
「なに?」
「シャ、シャワー……俺は、洗ってきますけど……リオンさん、嫌じゃなかったら、あの、そのまま……」
モゴモゴ言いながら、手を伸ばしてきて、尻尾の付け根を触ってくる。
「そこあんま触んないで」
覆いかぶさってくる三怜の耳元で囁くと、三怜はびくっと肩を震わせてガバッと俺から離れた。
「ちっ、ちんちんヤバい……す、すぐ、戻るから、絶対逃げないでね? 待っててね、すぐ出るからっ」
小学生みたいな言い方で俺に釘を刺すと、三怜はドタバタと浴室らしき部屋に消えていった。
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