君に歌っている
石になってる。俺の隣で。
静止画みたいになってしまった香規を横目に見ながら、俺はぼんやりビールを啜った。奇跡的に、まだ冷たい。炭酸も生きてる。テレビでは、まだモデルの女の子が水着ではしゃいでる。
香規は深刻な顔してるけど、俺はビールのおかげで楽しくなってきた。ぼんやりしてるのに、心拍数は上がってる感じ。
思い切って、思いっきり香規の顔を正面から見た。
香規はビクッとして、思いっきり目を逸らした。長いまつ毛が、バチバチっと震えた。変に落ち着いた声で「チャンネル変えない?」とゆっくり言った。
「この中だったらどの子がいい?」
俺がそう言い終える前に、香規が突然「その話やめろ」と聞いたことのない掠れた声で鋭く遮った。
びっくりして香規の瞳を覗き込む。いつにも増して、顔が白い。中学の頃、香規の前の席になった時、振り返って授業のプリントを渡しながら「和泉くんってこのプリントみたいに色が白いね」って言ったら何故か香規が真っ赤になったことを思い出した。
「香規?」
具合が悪いのかと心配になって名前を呼ぶと、香規はキラキラした黒い目で俺を睨みつけた。
お……怒ってる……。
香規って、カワイソウだけど、怒ってもあんまり怖くない。怖くないけど、その代わり、なんだか心配になる。痛々しいっていうんだろうか。なんでかはわかんないけど。
「どうしたの?」
俺が聞くと、香規はチラッとテレビの方に視線をやり、1秒で「一番右の女」と言った。
俺は3秒くらい固まって、ああ、どの子がいいかって話かと気がついた。同時に、嘘が下手だよな〜、とも思った。チラッと見ただけで、適当なの、誰が見てもわかる。それに、俺に言わせると、香規は「女が苦手」どころか、女を憎んでるとしか思えないんだよね。
大学時代、俺と香規は一緒に上京して、違う大学に通ってた。でも、インカレってやつで、同じ演劇サークルに入ってた。一年の春、俺の大学のキャンパスで香規と待ち合わせていたら、おそらく香規目当てで勧誘された。女の子が多そうだったから俺が入ろうかなと言ったら、めちゃくちゃ嫌そうだったくせに香規もついてきた。そこに在籍していたすごくキレイな上級生と香規は半年くらい付き合っていた。みんな知ってたのに、俺が聞いても何故か絶対認めなかったんだよな。俺がその先輩をキレイだと言ったから、それを好きだと勘違いして俺に悪いと思ったのかもしれない。さっきの質問に答えなかったところを見ると、今でも隠しきれたと思ってるのかも。気を遣ってくれたのなら悪いけど、ちょっと、面白い。
俺は今「面白い」なんて思えるけど、あの先輩にとってはきっと、あんまり面白い思い出じゃないだろう。女の子たちの噂が本当なら、香規は自分から告白して先輩と付き合ったくせに、付き合ってすぐに冷たい態度を取るようになり、そのくせ先輩が別れたいと言うと「あと1ヶ月くらい付き合おうよ」なんて意味不明かつ失礼なことを言い、しかもそれを繰り返し、半年が過ぎたクリスマス直前に突然「悪いけどもう飽きた」とかなんとか悪辣非道なメッセージ一つで別れを告げたらしい。
子供の頃から付き合いのある俺としては、香規がそこまでイヤなやつだと信じたくはないけど、絶対ウソとも言い切れない。悪いやつじゃないのは確かだけど、ちょっと変わったところがあるのも事実だし、そのせいで人から誤解されることも多いから。
そうそう、こんなこともあった。
当時、俺は実家からたっぷり仕送りを貰ってたからバイトってしてなかったけど、香規はサークルのほかにバイトも結構がんばっていた。そのバイト先で仲良くしていたであろう女の子が、香規を訪ねてうちの大学にやってきたこともあった。やってきたっていうか、突撃してきたって感じだった。
演劇サークルのたまり場がうちのキャンパス内にあって、彼女はある日突然そこに現れた。例のキレイな先輩はもう卒業してたし、香規ともとっくに別れてたんだけど、その子は何故かサークル内に香規のカノジョがいると信じ込んでいて、ちょっとした修羅場(香規本人は不在だったのに)が巻き起こった。この事件、インカレの仲間で集まると今でも必ず飲みのネタになるくらいの伝説になってる。
こんなのも俺にとってはちょっと面白い記憶だけど、あの子にとっては違うだろうね。彼女の話を信じるならば、香規は絶対に浮気をしていて、しかも二股だか三股だかしているとかなんとか。香規は誰に何を聞かれても黙って知らぬ存ぜぬを貫いていた。俺が聞いても、全然何も教えてくれなかった。っていうか、大学の頃って、同じサークルにいたのに香規はなんだか俺に冷たくて、中高のときみたいに仲良くなかったんだよな。卒業して、社会人になってから、だんだんまた前みたいに遊んだりするように戻っていったけど。
あの頃香規が何を考えてたのかはわかんないけど、今になってわかることとか、今こいつを見ててわかることはある。
香規は女が好きじゃないんだ。苦手って、昔から言ってたのは知ってる。でも、苦手っていうより、嫌いなんだと思う。テレビに映るモデルの子を1秒だけ見たその目つきで、俺はそう思った。
なんで俺がこんなこと、今香規に聞かなきゃならないんだとも思う。香規が女を嫌いだって、別にいいじゃんか。女といっぱい付き合ってたり、全然付き合わなくなったり、そんなの香規の勝手なのに。
でもなんか。心配なんだよね。俺は心配なんだと思う。俺以外の友達もほとんどいなくて、ちゃんとした、仲のいいカノジョっていうのもいなくて、仕事も、アタマいいのに、体力だってあるのに、ずっと適当なバイトしかしない。地元出たくないかもしれないけど、香規はバカにしてるけど、別に地元だって、ちゃんと探せば安定した仕事もあるのに。香規はなんだかずっと、いつでもどこにでも消えちゃえるような生活をしてるように見える。俺はそれが心配なのかもしれない。
ああ心配だ心配だと思いながら、急にマズくなったビールを飲み下す。石になった香規は、不自然なまでにテーブルの上の自分のビールを見つめてる。
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