君に歌っている
みーはネットで俺の分もまとめて新幹線のチケットを取ってくれた。私鉄を降りてJRの駅に入ると、俺は夕飯ついでに手数料のつもりでみーの分も駅弁を買うことにして、乗車券分の現金と併せみーに手渡した。みーの好きなシュウマイ弁当にしたので、みーは大喜びでテンションが爆上がった。両頬にえくぼが浮かぶのを見て、俺は弁当をさらに10個買い足したい気分になった。
「かのは? シュウマイ弁当にしなくていーの?」
テンションが上がったせいか、急に久しぶりに『かの』なんて呼んでくるから、腰が砕けそうになる。
「……全人類がシュウマイ大好きだと思ってんなよ」
「でもこれ美味いよ。一口あげるよ」
「……うーん」
うんって言いそうになったが、うんじゃねーよって思いなおした結果、変な返事になった。みーは気にも止めず、スタスタと改札の方向へ歩き出す。俺は唾を飲み込みながらついていき、無事新幹線に乗り込むと、おそらくシュウマイのことしか考えていないみーの隣に無駄に緊張しながら座った。
結局、みーがしつこいので俺はシュウマイを一つだけ貰って食べたが、みーは残りのシュウマイを手品のように一瞬で食いつくし、その後電池が切れたように寝てしまったので俺はどっと力が抜けた。
真っ暗な新幹線の窓を背景に、死体のように動かないみーの寝顔を眺める。鏡のような窓ガラスにみーの髪が映っている。『触りたい』と反射のように頭に浮かぶ。きっと触っても起きないだろう。手を伸ばすと、窓に俺の手が映った。みーの髪に触ろうとしている俺の指。いや、そんなことより。みーに触ろうとしている俺の顔。血の気が引いて、俺は座席に深く座り直した。窓の外はだんだん光が増えてきて、少しずつ都会の夜景に変わっていく。
新幹線を降りると、今度は地下鉄に乗り換える。みーの部屋は東京駅からそれほど離れていない。混んだ車内で、みーは俺を心配そうに横目で見た。俺が満員電車に慣れていないからだろう。俺は『別にへーき』って顔でみーを見返す。みーは安心したようにニコッとした。嬉しいはずなのに、なぜか寂しい気持ちになる。
駅からアパートまでの道すがら、コンビニの前でみーが言った。
「飲みもん買ってく? 水くらいなら家にもあるけどさ」
俺はJPOPの歌詞を思い出した。深夜のコンビニに手を繋いで行くとかなんとか。
「……買ってこうかな」
「おん」
みーは適当な返事を返してくれながらコンビニに入っていく。
お茶のペットボトルが並んでいる棚を眺めていると、
「ビール飲む?」
と、みーが350ミリ缶を棚から取り出しながら訊いてきた。部屋飲みできると思うと嬉しくて、「うん」と素直に頷いた。みーは缶をもう一つ取り出して、「奢ってあげよう」と偉そうに言った。
みーのアパートは、形容のしようがないヘンな薄赤色の4階建てだ。みーの部屋は2階。
みーはこれまたヘンなグレーのカードを黒い財布から取り出すと、玄関の鍵を開けた。このアパートは、古い癖に、カードキーなんて生意気なものを採用している。
部屋に入ると、当然のことだが真っ暗だった。みーが廊下の電気をつけて、廊下とリビングを仕切るドアを開けると、リビングの大きな窓の向こうで、アパートのすぐ裏にある学習塾の看板がボンヤリと光り輝いていた。
「あの塾、こんな時間まで営業してんのか?」
「……塾って営業って言う?」
みーは俺の質問に答えず、どうでもいい疑問を投げ返しながらリビングの電気もつけてくれた。
テレビをつけるとアニメ映画が流れていて、みーは特にチャンネルも変えず、サブスクにも変えず、冷蔵庫に向かうと「豆腐しかなあい!」と叫んだ。
「何もいらん。ビールだけでいい」
「えーーー? じゃあ俺だけ冷奴食う」
みーは台所で何やらガチャガチャやり始めた。俺はアニメーションで描かれた嘘くさい青空と嘘くさい田舎道を眺める。こんなもんは都会の人間が都会の人間に向けて作ったものであって、俺には不愉快極まりないが、みーはこのアニメが好きなので俺は我慢して見るしかない。
アニメはすでにエンディング間近で、30分もしないうちに終わってしまった。コマーシャルを挟んで、モデルが海外旅行へ行く番組が始まる。
「あのさあ」
みーが唐突に言った。俺は何故かびっくりしてビールを飲む手が止まった。
「かのってこういう綺麗な子と付き合ったことある?」
……なんだこの質問。
綺麗な女と付き合ったことは、ある。自分や周りを誤魔化すために、若い頃はそういうこともあった。だから普通に「あるよ」と答えればよかったのに、俺は動揺して聞き返してしまった。
「……何で?」
「いや……かのなら行けるよなと思って」
行けるってなんだよ。ムッとしたが、みーの聞き方が素直そのものなので、怒るに怒れない。
「今、カノジョっている?」
みーは重ねて訊いてくる。大人になってからこいつに彼女のことなんて訊かれたのは、久しぶりだ。唾を飲み込む音が耳の奥で響く。
「……いないけど」
「どんな子が、好き?」
今更なんだよ。みーは、こんなちっぽけなビールひと缶で、酔ってしまう。
「……別に。女って苦手」
俺は大抵、これで通してきた。好きな子は? 好きなタイプは?
女は苦手だから。恋愛とか興味ないから。これは大嘘だ。俺はクソガキの頃から、ずっと恋愛し続けている。
「そっか」
みーも、いつも通りの返事だ。俺もいつも通り、みーのタイプを聞き返したりはしない。
こいつの好きなタイプなんて、嫌というほどわかってる。早坂詩織ではない。断じてない。あれは例外なんだ。早坂がみーを気に入って手を出した。おぞましい女だ。反吐がでる。
みーが本来好きなタイプというのは、ああいったわかりやすくキレイな女ではない。
みーは、少し太めの女が好きだ。少しどころじゃなく、はっきりと太っている女も好きだったりする。顔も、どちらかというと崩れたような造作の女が好きらしい。それが一番『エロい』とのことだ。
もう少しわかりやすく言おうか。
みーは、恋愛にほとんど興味がない。セックスしたくなるかどうかだけに関心がある。
みーがどうというより、世の男がほとんどそうなのかもしれない。
俺は違うが。
「かのさあ。お前さあ」
ふにゃふにゃした声で言いながら、みーは俺の方を向いた。しかしその目は俺の顔を見ていなかった。俺の、崩した膝のあたりを見ている。
目が合わないのをいいことに、俺は遠慮なくみーの顔を見た。色素の薄い三白眼。眠そうに見えるほど幅の広い瞼。その少し上で切り揃えられた真っ直ぐな前髪。いくら頑張ってセットしても、すぐに元に戻ってしまうほどの直毛。学生時代からずっと、同じ位置で切り揃えられている。瞳と同じく色素の薄い前髪の下で、今は本当に眠そうな目がゆっくり瞬きを繰り返しながら、
「女に全く興味ねーの?」
と呟いた。
俺は心臓がばくばく言ってるのを耳の奥で聞き、頭の中で九九を唱えた。
「苦手なんだって。知ってるだろ」
早くも遅くもないしっかりとした発音で、滑らかに答える。
……動いちゃダメだ。
もう寝る……とか言うのもいかん。
ビールを飲むのも無し。
缶に手を伸ばすのを辛うじて堪えたせいか手首の皮膚が痙攣したが、流石にこんなところまで見えないだろう。酔っ払ったみーを誤魔化すことくらい、なんでもない。大丈夫。付き合ってきた女たちからも、「何考えてるかわからない」といつも言われてきた。俺は考えてることが顔に出ないタイプなんだ。
酔っ払ってる鈍いこいつに、万が一にも俺の動揺が伝わるわけない。
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