君に歌っている

3.

「野球してないんなら」
 自分の湯飲みにも茶を注ぎながら俺は聞いた。「休み、何してんの」
 みーはため息をつき、ちゃぶ台に顎を乗せて答えた。
「ネトフリとか。ソシャゲとか」
「あとYouTubeとか?」
 皮肉で言ったつもりが、みーは「そうそう」と頷いた。冴えないため息をハモりながら、お互い西日の射すひなびた畳をゾンビみたいな顔で見つめていた。
「死体か、お前たちは」
 縁側から飛んできた野次に目を上げると、爺ちゃんがリンゴの重さで引きちぎれそうになったスーパーの袋をぶら下げて近づいてくるところだった。
「あ、お邪魔してます」
 みーが頭を下げる。爺ちゃんは唸り声の様な返事を返しながら靴を脱ぎ、縁側からそのまま居間に入ってきた。
「またもらってきたの? 二人じゃそんな食えないって」
 リンゴを睨みながら文句をつけるが無視される。
 ドスンと畳にリンゴを置くと、爺ちゃんはみーの隣にあぐらをかいた。
「三井くん、元気か。飯は?」
「元気。おじいちゃんも元気そう。飯は香規が出してくんない」
「……まだ6時だし」
「6時は飯の時間よ」
「つーか爺ちゃんは? 食ってこなかったの? いつも食ってくるのに」
「武井さんがウチに客が入ってくの見たってんで、帰ってきた」
 狭い土地だからって情報が早すぎるだろ。俺は呆れたが、祖父はいつもの無表情で音もなく立ち上がった。うちの爺ちゃんはジジイの癖に、忍者みたいにきびきび動ける。歩くのなんて、俺の方が遅いくらいだ。
「魚にするか。刺身。泊まるだろ? 呑むか?」
 動作だけでなく思考や発言もせかせかしている。ちんたらしているみーとは相性が悪そうなもんだが、何故かこの二人は仲がいい。みーもニコニコしながら、
「おじいちゃんの刺身サイコー。飲も飲も」
 と立ち上がった。爺ちゃんは脱いだばかりの靴を早くも履き終わっている。爺ちゃんが刺身と言う時は、魚屋で魚を買ってきて家で自分で捌くことを言う。
 みーも玄関に行かず、縁側にあった俺のサンダルを履いて出て行ってしまった。仕方がないから俺だけ玄関に向かい、ちゃんとスニーカーを履いた。鍵はかけない。
 早くもエンジンが唸っている車のドアを開けると、何故かみーが助手席に乗っていたので、俺は後部座席に一人で座った。

       ◇

 じいちゃんとみーと3人で夕飯を食って晩酌をして。みーは、酒があまり強くないから、畳の上にひっくり返り寝落ちしてしまった。俺は自分の部屋へ行って毛布を取ってくると、みーの上にかけた。
「香規」
 じいちゃんがイモ焼酎のお湯割りを啜りながら、俺の名前を呟いた。
「何?」
 俺は缶チューハイを手に取った。ぬるくなって炭酸も抜けて、不味くなってるけど勿体無いから全部飲むつもり。
「よかったな」
 何が? と言いたかったけど声が出なかった。
「何日かいられるんだろ」
 ドキッとした。
 みーのことだよな。よかったって、仲がいいから嬉しいだろってことか?
 俺は動揺を悟られないように、つけっぱなしのテレビの音に集中した。仲がいいのはホントのことだ。それって、悪いことじゃないよな。
「知らねえ」
 とだけ答えた。ホントに知らなかったし。何日いられるかなんて聞けねーよ。怖いもん。またしばらく会えなくなるってことを意識するのは、みーが帰るその瞬間だけで十分。
「もっと会えたらいいのにな」
 このジジイ、酔ってんな。そう思うことにした。これ以上ここにいるのって、危険かも。安い缶チューハイの残りなんて、クソ喰らえだ。俺は立ち上がって「もう寝る」とじいちゃんに告げた。ムカつくことに、じいちゃんはまるでいつもと同じテンションで「おう。おやすみ」だとさ。

 翌日、みーは昼過ぎまで居間で寝ていて、午後になっても「頭いてえ」とゴロゴロしていたが、夕方近くなると慌てて俺んちの風呂を使い、髪も半乾きのまま「帰る」と言った。俺は鳩尾を抉られたような衝撃に耐えなければならなかった。
「……昨日来たばっかじゃん」
 それだけ言うのが精一杯だった。
 家の中心にみーが寝ていて、そこらじゅうにみーの物が散らばってて。我が家のコンセントとみーの携帯が繋がってて。そういうことが死ぬほど嬉しかったから、大袈裟じゃなく天国から地獄に突き落とされた気分になった。みーがコンセントからケーブルを引っこ抜くのを見ると、自分の電源も引っこ抜かれたような気がした。
 みーはケーブルをブラブラさせたままバックパックに突っ込んで言った。
「明日ユリのピアノの発表会、行かなきゃなんだよ。朝早いから、もう帰んないと」
「……お前、何しに来たの?」
「実家に用あったの。日曜までこっち居ようと思ってたけど、ピアノのこと忘れてた」
 じゃあ実家に行った後ついでに来たのか。そう思った後、「来てくれたんだ」と思い直した。
 そう考えれば、少しだけ気分が持ち直す。今日は土曜日だから……つまり、金曜に有給を取り用事を済ませ、そのあとわざわざうちに泊まりに来てくれたってことだろ? うちに来たって、年寄り爺さんと年寄りじゃないが若くもない俺がいるだけで、家も古いし、何もいいことなんか無いのに。それって、なかなか嬉しい。
 みーは慌ただしくスニーカーを履いてる。履き古して濁った群青色。またしばらく会えないと思うと、しんどすぎて、もうこれを最後にしたいという思いがいつものように湧いてくる。いつもこうだから、どうせ最後になんか出来ないことはわかってる。しかし、それにしたって、辛い……。
「明日、早いって、何時?」
 俺は何でもいいから話したかったんだろう、どうでもいいことを聞いていた。
 みーは一瞬だけ「へんなの」って顔をした後、
「8時に詩織ちゃんち。迎えに行くの」
 みーの口から『詩織ちゃん』と聞くことに、10年経っても慣れない。嫌な顔になってしまうのを誤魔化すように、「見るだけじゃなくて? 送り迎えもすんの?」と、またしてもどうでもいいことを聞く。
「詩織ちゃん仕事で来れないんだって。だから俺が行かなきゃなんだよ」
「ふーん……」
 みーは画面のフチにヒビが入ったスマホを操作しながら「バス間に合いそう」と少し落ち着きを取り戻した。そして、
「あー……」
 と、何か迷ってるみたいに口篭ったあと、突然、
「お前も来れば?」
 と言った。


次へ
戻る