君のことよく知らないけど 〜延長戦〜
4年以上……もしかしたら5年くらい顔を見ていなかったアマデオが、マガの前の通りのベンチに座っているのを見て、俺は思わず足を止めた。店に入るには彼の目の前を通らないといけない。挨拶、すべき? それとも、気づかないフリをした方がいいんだろうか。
まごまごしてたら彼が気づいて立ち上がってしまった。相変わらずの着道楽ぶりで、俺でも知ってるバカ高いライダースジャケットに、俺は知らないけどどうせすごく高いブランドものであろうスウェットパンツ。栗色の髪に、桜の花びらが一枚、くっついていた。ベンチの脇の木から、風が吹くたびにピンクの紙吹雪がふわふわ落ちてくる。
「三怜くん?」
アマデオはちょっと首を傾げながら声をかけてきた。俺は最近髪を少し伸ばして、パーマもかけているから、印象がかなり変わっているだろう。
「うん……アマデオ、だよね? どうしたの? こんなところで……」
まさかマガで働くつもりなのだろうか。俺、最近成績良くないから、アマデオが来たらピンチかも……。
「ダフネに行ったら、マガに戻ったって聞いて……突然ごめんね。君と話したくて」
「話って……俺と……?」
リオンが俺と住むようになってすぐアマデオはダフネを辞めた。それ以来、俺が彼と話をする機会はなかった。リオンは結婚してからも時々は店に飲みに行ってたけど、俺はついていかなかったから、二人が会っていたかどうかは知らない。
俺は結局、店に行くなとか、彼と会うなとか、はっきり言うことはなかった。リオンは同棲し始めてから仕事が増えて前ほど遊びに出れなくなっていたし、結婚生活の最後の方は、全然外出したがらなくなってしまったから。
アマデオはリオンが死んだことを、どこかで誰かから聞いたのだろうか。ひょっとしたら、リオンが仕事で使っている名前を知っていて(仕事用の名前は二つあった。一つは作曲家として、もう一つは作家用として使ってた)そのニュースから知ったのかも。
「そう……ルカさんのことで」
頬を殴られたかと思うほど、俺は衝撃を受けた。
ルカさん。リオンが店で適当に名乗ってた名前。仕事用の名前じゃない。目の前の男は、その名前でリオンを、俺のリオンを抱いたことがある。何度も。
自分が受けた衝撃の大きさにびっくりしてしまい、俺は一歩後ろへ下がった。目の前の男の顔を見たくなくて下を向くと、無数の桜の花びらが土埃に塗れ、汚く斑らになっていた。
「三怜くん?」
アマデオが一歩、俺に近づいた。俺は勇気を出して顔を上げる。顔にかかる髪を耳にかける。
伸ばした髪は、リオンの若い頃のスタイルの真似だった。二人で所持品を整理してたとき見つけた紙媒体のゲーム雑誌には、二十歳前後のリオンが写っていた。彼が一年だけ働いていたゲーム会社の特集号で、リオンはサウンドチームの一人として名前と顔が載っていた。オフィスのデスクで作業中に横から声をかけられたような写真で、マウスを片手に、体はモニタに向いているけど、面白がるような瞳だけはこっちを見ている。伸ばした猫っ毛はクルクルとカールしていて、後ろで一つに束ねられていた。華奢な輪郭に覆い被さるような黒ブチの眼鏡をかけていて、変装してるのかと思うほど印象が違った。
女の子みたいだねといったら、「美少年だったからな、俺は」と得意げになっていたっけ。
「ちょっと……どうかした? 大丈夫?」
「あ……大丈夫。平気。中に入る?」
俺は早口で応える。
アマデオは「良ければここでいいかな」とさっきまで座ってたベンチに視線を投げた。俺は頷いて、ベンチに腰掛けた。アマデオも隣に座った。
冷たい風が吹いて、次から次へ、ピンクの花びらが落ちてくる。
「彼のこと、ニュースで見た。作家の名前で出てたね」
やっぱり、そうか。俺は頷いた。
「……で、話って言うのが……」
アマデオは彼らしくなく言葉につまった後、短く息を吸ってから「お墓参りをしたいんだけど」と言った。
俺は返事が出来なかったし、したくもなくって、下を向いて黙っていた。
「あの……三怜くん?」
「ごめんなさい」
俺は立ち上がって店へ入ろうとした。アマデオは俺の手を引いて引き留めた。
「待って」
アマデオは悲痛な声でそう言った。俺は静電気でも走ったみたいに振り払ってしまった。アマデオはもう一度俺の腕を掴んだ。キレイな手なのに、乱暴で想像以上に強い力だった。
「頼むよ! 好きだったんだ」
「過去形でしょ?」
俺は店の方角に向かって言った。もうアマデオの顔を見るのも嫌になっていた。
アマデオは言葉に詰まった。
俺は早口で続けた。早く帰って欲しかったから。
「俺は今もリオンのこと好きだし、そもそも、知ってた? 俺たち結婚してるんだよ。だから他の男には何も教えない」
「知ってたよ」
知らない人の声が聞こえて、俺は思わず振り返った。知らない人なんかどこにもいなくて、アマデオが聞いたことない声で喋っただけだった。
「結婚したの、知ってた。マジでムカついたよ」
みるみるうちに、顔まで知らない人みたいになっていく。
「結婚とかするキャラじゃないだろあの人。何なんだよお前? 俺の方が先に知り合ってたし、俺の方が何回も何回もヤってたんだけど」
俺はアマデオをぶん殴りたかったけど、そうはならなかった。リオンの嫌そうな困ったような顔が浮かんでしまっていた。
リオンには友達が本当にいない。俺もだけど。仕事以外ではアマデオがほとんど唯一の親しい人間だと思う。リオンはアマデオに来て欲しがるだろうか。
わからなかった。多分……好きにすればって言うかも。俺が嫌だって言ったら、きっと「お前が嫌なら断れば」とか言ってくれると思う。俺自身は……俺はまだ彼とお墓なんて所を結びつけられないから、どうせ行かないけど。
アマデオは疲れたような笑顔で俺を見ていた。俺が黙って固まっていたら、アマデオはテストで悪い点をとった生徒を見る教師みたいな目で俺を見つめながら続けた。
「君さ、キャットレイスが長生きしないって知ってて結婚したんだよね」
「知らなかったよ」
俺は反射的に答えた。これ以上話したくなかったのに、彼の酷い顔を見ていたら、口が開いていた。
無表情に黙っているアマデオの顔は、目の下の隈が恐ろしく目立ってた。彼もいい歳のはずだけど、年齢のせいというよりは、寝れていない時の俺の顔に似ていた。その暗い穴みたいに落ち窪んだ大きな目を細くして、彼は言った。
「知らなかった……?」
「知らなかったよ。だからなに?」
信じられないって声を出されて、俺も喧嘩腰になった。知らなかったけど、それが何だって言うんだ。知ってたって、知らなくたって、リオンと一緒にいられるならそれ以外の選択肢は俺には無い。彼を諦めようとしたこともあったけど、無理だったんだから。
「嘘だろ。知らない人なんか、いるの」
「本当だよ。俺、CS長かったから、キャットレイスのことも全然知らなかったんだから」
「CSって……そんなに昔から? どうして?」
アマデオが疑わしそうに俺を見る。
「どうしてって……別に。みんな、色々あるんだよ」
俺はとってつけたようなことを言った。話くらい付き合ってあげてもいいと思ったけど、俺の過去まで打ち明ける義理はない。
アマデオは魂が抜けたような声で笑った。
「は……そうだね、みんな色々あるよな」
ほんの一瞬、アマデオが泣きそうな顔に見えて、俺は思わず目を逸らした。気まずくて、また喧嘩腰に話を続けようとしてしまった。「知ってて結婚したなら、何なの?」
「……別に。俺には無理だと思ったから」
「どういう意味?」
「……」
今度は向こうが俺から目を逸らした。片手の指が、持ち主の苛立ちを放出してるみたいにヒラヒラ痙攣してる。
彼も何かを抱えていて、そしてそれを俺に話す気はないように見えた。でも、話をやめる気はないらしい。唇を開いて、また閉じて、それからまた開いた。
「俺だって好きだったのに」
独り言みたいに、ふらっとこぼしたようにそう言うのが俺の耳に入った。そんなこと知ってたけど、なぜかギクッとして俺は拳を握った。
「言えなかった。だって……それが……その事が……」
アマデオの顔を見ないように下を向いたら、視界の隅で、彼もぎゅっと手を握っているのがわかった。
男が二人、ベンチで下を向いて拳を握って……何してるんだろう。リオンが見たら、呆れるかな。喜ぶかもしれない。俺を取り合って殴り合え、とか言いそうだ。リオンの笑顔にまた会えるなら、俺は喜んで隣の男に殴りかかるけど、そんなことしてももう会えない。
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