君のことよく知らないけど 〜延長戦〜
「……ID、交換してやるから、ちょっと離れて。そんで端末も返して」
唸り声を上げたいところを何とか堪えてそう言った。金を払ってでも、こいつから解放されたかった。
「ほんと? いいんですか?」
三怜は俺の腰に回した腕に力を込め、俺の頭に顔を擦り付けながら答えた。こいつ……人の話を最後まで聞けよ。
こんなストーカーとメッセージアプリなんかやることになったら、日がな一日端末の着信ランプに目を焼かれ、1日と持たずにブロックする羽目になるのは目に見えていたが、俺はとにかく離れて欲しい一心から「いいよ」と答えた。
「ブロックしないでくださいね」
三怜はニコニコしながら俺の端末を手渡す。心を読まれてるんじゃ無いかと恐れ慄きながら、俺は受け取った。
IDを交換すると、三怜は絵画のような微笑みを浮かべ、その姿は後光が差しているかの様だった。俺は絵は描かないが、描けたら一枚、描いてたな。
シャワーを浴びに行く前に、これ以上彼に部屋にいて欲しくなかったから、帰れと命じた。三怜は瞬時に表情をなくした。
「シャワー浴びたら仕事するから。店、また行くから」
店に行くと言えば大人しくなったことを思い出し、俺は深く考えずにそう言った。三怜は眉をひそめ、危篤状態の患者を見守る様な表情で俺を見た。
「……あの、俺、マガ辞めたんです。今、ダフネで働いてて……」
「みたいだね」
「ダフネに来てくれるってことですか?」
「ああ。前から行ってたしな」
「……あの。店より、俺の家とか……リオンさんの家とか……」
「家とか? なに?」
「家とか……じゃ、ダメですか?」
マジでダメって感じ。
って言ったら、コイツまた怖い顔しそうだよね。
考えながら、三怜の顔を見る。濡れた瞳。赤い唇。長い前髪がおさまり悪く目元にかかり、鬱陶しそうに手で払っている。よく見ると、少し湿っている様だ。こいつ、俺んちの風呂入っただろ。絶対……。
「俺、あんま家に人いれたくないんだよね。悪いけど」
正直に伝えると、三怜はしょんぼりした。
「じゃ、じゃあ……俺の家は?」
「お前んち? 何しに行くの?」
冷たく言ったから、諦めるかと思ったら、三怜は顔をほんの少しかたむけ、美しい横顔で「セックスとか……」と静かに言った。
「……お前とこれ以上セックスしたら、大変そう」
疲れ果て、独り言の様にそう返した。三怜の反応は見ずに、部屋に干していたパンツとタオルをむしり取り、一階に降りる。冷蔵庫に寄って水を飲んでから風呂場へ。
風呂から出てリビングに入ると、階段を降りてくる足音が聞こえて俺は飛び上がった。まだ、いたのかよ!
「リオンさん、」
「お前さあ。帰れって言ったよね? びっくりしちゃったんだけど」
逆立った毛を見られたくなくて、見られてたらと思うとムカついて、俺はキレ気味に声を高くした。
「あ、ごめんなさい……」
「仕事ひと段落したら連絡するから。誰かいると作業できねえ」
こういうのがまずいって、わかってるけど、俺はどうしてもその場限りの約束をしてしまう。これを言えばわかってくれるだろうと、そう思ったら、できない約束でもその場で適当に言っちまうわけだ。悪い癖。
「リオンさん、何で、ずっと無視してたんですか? 俺のこと……。それ、聞いとかないと、帰れない……」
三怜は気弱そうな声とは裏腹に、ものすごく恨み辛みをたたえた目をして俺を見た。店で会って金を払って買ったやつに、恨まれる筋合いはないんだが。それともこいつ、普段からこんな顔なの?
「そんな怖い顔されても困るんだけど……大体、俺、無視なんかしてないしね」
「し、し、しましたよっ! 俺、着信拒否までされて……メールも、全然返してくれないし、だから俺……」
そこまで言うと、三怜は突然口をつぐんだ。下を向いて。
「……だから?」
続きを促すと、「……ショックでした」と言いながら何故かこっちに向かってくる。いやいや。何で入ってくんの、リビングに。帰れって。
どんどん近づいてくる三怜が不気味で、俺は後退りながら考えた。着信拒否なんかしただろうか。したかもな。忙しかったんだ、最近。でもこいつには、仕事だから連絡出来ないだか、してくるなだか、言っておいた記憶、あんだけどな。
「……あ、思い出した。俺、言ったわ、絶対。仕事忙しくなるから、連絡できないよって」
三怜は視線を彷徨わせて考え込んだ。「そうでしたっけ?」
そうでしたっけ? じゃねえよ、そうなんだよ。
「お前、俺のこと好きとか言って、ロクに話聞いてねーじゃん。やりたいだけでしょ。セックスならまた今度暇なときしようよ、それでいいだろ」
ふと、足元に埃が落ちているのが目に止まり、俺はロボット掃除機のスイッチを足で押しながら言った。俺の掃除機は外国製の業務用みてぇな超強力ロボットだ。圧倒的な吸引力を誇るそいつが、轟音を唸らせながら床を這いずり始める。三怜が俺に向かって何か言っているが、全く聞こえない。まあ聞く気もないので、さっさと帰れと言う気持ちを込めて、シッシと手を振ってやる。
三怜は流麗な眉頭を悩ましげにひそめると、作り物めいた虹彩を濡れたように光らせて俺を数秒見つめてから、絵画の如き横顔を見せて立ち去っていった。
やれやれようやく就業時間だと、パソコンの前に座ると端末が光った。新規のメッセージ。差出人、菅原三怜。
『お仕事がんばって下さい。俺、今日仕事休みなんで、夜、ご飯作りに行きますね』
「来なくていいわ!!」
俺の酒焼けでかすれた絶叫が、ロボット掃除機の轟音に吸い込まれて消えた。
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