君のことよく知らないけど 〜延長戦〜

8. リオン

 目が覚めると、見慣れた天井が目に入り、最初に考えたのは仕事のことだった。
 今、何時だ? 一番近い締め切りまで、あと何日と何時間?
 端末で確認しようと枕元を探ると、いつもの場所に見当たらない。気怠い体を起こしてみると、背後に何かの気配を感じ、振り返る。
 菅原三怜が、床に座り込んで俺の端末をいじっていた。
 時が止まり、呼吸も止まった。
 三怜が俺に気づき、端末に落としていた目線を上げる。
「あ、おはようございます」
 あ、おはようございます、じゃねえよ。
 俺は口を開け、そして閉じ、もう一度開けたが、何の音も出てこない。三怜は俺の様子を見ると、バツが悪そうな顔になり、「あの、お邪魔してます」とモゴモゴ言った。
 あの、お邪魔してます、じゃねえよ……
「何してんの?」
 ついに第一声が飛び出ると、なんだか次々に聞くことが出来た。
「なんで俺の家にいるの? なんで俺の端末見てんの? ロックかかってるから見ても意味ないはずなんだけど何、お前、なんか見れてんの? つーかなんでダフネで働いてんの? マガは? やめた?」
 怒涛の様に問い詰めると、三怜は何故か少し嬉しそうな顔をして俺を見た。
 背筋が寒くなった。
「リオンさん、具合悪くないですか?」
 三怜は俺の渾身の尋問を無視し、逆に質問を返してくる。ルカさんと呼ぶのはやめたらしい。
「具合は悪くない、質問に答えろ」
 言いながら、何でこんな質問をされたのか疑問がよぎる。俺は慌てて発言を追加した。
「俺が具合が悪くなると思った理由から訊く」
 三怜は一度視線を下げた後、またすぐに上げて俺を見た。俺をまじまじと眺めてから、言った。
「触ってもいいですか?」
 何を言われているのかわからず、また時が止まった。こいつと一緒にいれば、永遠に締め切りを伸ばすことも可能かもしれない。
「……なんだって?」
「リオンさんに、触ってもいいですか? 起きてるときに触るのは、久しぶりだから……」
 俺はベッドから降りると、断固たる足取りでフローリングを踏みしめ、三怜の前を横切って部屋の出口を目指した。リビングに行けばノートPCがある。それを使って警察を呼ぶつもりだった。
 俺は酒で記憶をなくしたことは一度もない。薬もやったことはない。なのに、何でこいつが俺の部屋にいるのかわからない。こいつが今ここで説明する気がないのなら、法の力を使ってでも聞いてやる。
「リ、リオンさん? 待って、どこに行くの? どうしたの?」
 どうしたの、はこっちのセリフだ。
「リオンさん待って、あの、怒ってますか? 怒ってますよね、ごめんなさい勝手に部屋に入って。あの、何もしてません、俺。寝てる間に、ちょっとだけ耳に触ったけど、尻尾は触ってないし……あの、ほんとに他には何にも……ごめんなさい、リオンさんっ」
 三怜は突然声を大きくして、俺に後ろから抱きついて来た。俺は全くもって不本意なことに、めちゃくちゃにビビって立ちすくんでしまった。正直言って、冗談でも何でもなく気絶するかと思うほどにビビった。三怜が193センチあるという事実が頭をよぎる。反射的に伏せた両耳を、三怜の髪の毛がさらさらとくすぐるのがわかった。
 俺が黙って棒立ちになっている間に、耳のすぐ上で三怜は質問に答え始めた。
「昨日、リオンさんのお酒、ちょっと強くしちゃって……リオンさん、酔って立てなくなったから、俺がここまで送って来たんです。家の場所は、リオンさんから聞いたんですよ、覚えてないですか?」
 覚えてない。恐怖のあまり、声も出ない。
「嘘だと思うなら、ダフネのキャストに聞いてください。タクシーに乗るところまでは、リオンさんを乗せるの、手伝ってもらったから覚えてるはずです」
 なるほど、警察より先に、まずはダフネに電話してやってもいい。
「それで、あの、端末は……メッセージアプリの着信がたくさん来てたから……」
 来てたからなんだよ?
「リオンさん、俺にはメールしか教えてくれなかったのにって思って……交換したいなって思って……」
 勝手に交換しようとしてたってか? なんて男だ。こんなストーカー野郎の腕の中にいるとは。俺の耳はいよいよ頭に沿ってピタリと張り付き、尻尾の毛は逆立った。酔って送ってもらったというのが本当なら感謝しなきゃならねーんだろうが、怖いもんは怖い。
「……ロックは?」
 唸り声を上げたいところを何とか堪え、続きを促す。三怜は俺の腰に回した腕に力を込め、俺の頭に顔を擦り付けた。
「ロック開けてないです、俺、触ってただけで……」
「は? 触ってただけ?」
「はい。交換したいなって思いながら触ってただけです……あ、でも届いたメッセージは少し見えちゃいましたけど……」
「ああ、そう……」
 中身を見られるのと、中身も見れないのにただひたすら持ち物を触られるのと、どっちが気持ち悪いだろうか。俺は後者だと思う。
 三怜が腕の力を少し弱めたので、勇気を出して首をひねり、ヤツの顔を伺って見る。容赦無く目が合い、今度こそ喉の奥からゴロゴロと獣の唸り声が漏れ出た。
 三怜は女が宝石を見るときの目で俺を見ている。


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