君のことよく知らないけど 〜延長戦〜

4.

 教わった通りにエリスを縛り、目隠しをつけると、何故だか少し、気分が楽になった。視線を感じなくなったからだろうか。
「本当に初めて? 縛るの上手ですね」
 エリスは俺をリラックスさせようとしてくれてるのか、冗談っぽく笑いながら言ってくれた。俺も少し笑って、初めてだよと答える。
「したいことあったら、なんでもしていいですよ。叩いたりとか、噛んだりとか。道具使ってもいいし。何もしたくなければ、それでもいいし」
 俺はバッグパックをチラッと見てから訊ねた。「キスしてもいい?」
 エリスは一瞬黙ってから、それでもすぐに答えてくれた。
「もちろん。ミレイさんがしたいなら」
 エリスの顔が目隠しで半分隠れると、いよいよリオンさんの影がちらついてきた。俺は本当は、最初からこうしてリオンさんを捕まえたかったのかもしれない。でも、リオンさんはそういうの嫌がりそうだし、そもそも攻められるのが嫌なんだろう。絶対ネコにはならねえぞって、顔に書いてあった。
 エリスの耳に手を伸ばす。そういえば、この耳を見てから、触りたいと思ったのはこれが初めてだということに気付く。リオンさんの耳からは、ずっと目を離せなかったのに。
 エリスの耳は、リオンさんのそれに比べると、ふわふわというよりツヤツヤって感じだ。高級な洋服を触った時みたいな感触。
 触りながら、顔を近づけて、エリスの薄い唇に唇を押し付けた。唇があまりふっくらしていないところが、リオンさんに似ていると思った。冷たくて、何の味もしない。あの夜、リオンさんとキスしたのかどうか、それだけはどうしても思い出せなかった。他のことは記憶を辿って取り返せる部分がいくつもあるのに、一番知りたいことだけは浮かび上がって来てくれない。
 リオンさんのことを忘れたいと願いながら、キスしたかどうかを必死で思い出そうとする矛盾した行為にニューロンの分子が振り回されている間に、俺の股間は熱を持ち始めていた。性欲というよりは、怒りと焦りが血流となって集まって来ている感じ。
 唇を離すと、「キスが上手ですね」と褒められた。なんて答えていいか困って、とりあえずお礼を言う。また気まずい空気になる前に、何かしなきゃと思った。
 床に置いてあるバックパックに手を伸ばし、カーテンのタッセルみたいな道具を取り出した。エリスがバラ鞭と呼んでいたものだ。先がバラバラになってるからバラ鞭なのかな、なんて考えながら持ち手を握り、構える。
「ちょっと叩いてもいいかな」
 俺が聞くと、「どうぞ」と返事がある。
 振り上げて、見下ろした。俺の視界には、顔が半分隠れたキャットレイスの雄がいる。三角の耳。長い尻尾。白い肌にフリンジの様な鞭が当たると、場違いに明るく、景気のいい音が響いた。
 リオンさん。どうして?
 3回くらい打ったところで、エリスが完全に勃起していることに気づいた。Mも出来るって書いてたもんね。リオンさんだって、俺とやって、射精してたのに。俺のこと、口説いてきたくせに。電話していいって、言ったのに。
 何がダメだったの? 何が嫌だった? 教えてくれたら、直すのに。どうして、黙っていなくなっちゃうんだよ?
 どうして、どうして、と繰り返しながら、手を振り上げ、振り下ろし続けた。赤く染まった薄い皮膚の上に、ぽたぽたと雫が降りかかっているのを見て、やっと自分が泣いていることに気がついた。


 お金で快感は得られなかったけど、代わりに得たものが一つだけあった。
 あの日、俺の尋常じゃない様子を心身になって心配してくれたエリスに、俺はリオンさんのことを話した。するとエリスは、ちょっと躊躇いながら、ある事を教えてくれた。
「風俗や水商売の情報交換が行われる掲示板があるらしいんですけど……キャットレイスは目立ちますから、もしかしたらそこに書き込みがあるかもしれませんよ。そういうお店によく出入りしているなら」
 あんなに帰りたくないと思っていたマンションに、俺は走って帰った。
 部屋のドアを開き、靴を脱ぐと、廊下に座り込んでタブレットを手のひらに吸い付かせ、教えてもらった検索ワードでサーチした。
 リオンさんは、晒されていた。
 正確には、「ヲチられていた」と言うのだろうか(後から学んだネット用語で、多分ウォッチされていたって言う意味だと思う)。身長や髪の色、目の色、顔の特徴やなんかで、その掲示板に出てくる〈ネコちゃん〉という人物がリオンさんのことだとすぐわかった。〈ネコちゃん〉は店によって色んな名前を名乗っているらしく、どれも偽名だって皆わかってるんだろう、話の種になる時は、必ず〈ネコちゃん〉っていう愛称で統一されていた。

『今日ダフネにネコちゃん来てたよ。相変わらずクッソモテてた』
『昨日初めてネコちゃん近くで見た。めちゃくちゃ可愛いな。でも思ってたよりイケメンだった。もっと女みたいなの想像してた』
『7区の玉葉でネコちゃん発見。すげー豪遊しててウケた。儲かってんだな。仕事何してんだろ』

 数ある書き込みを読みながら、リオンさんとセックスした夜を思い出す。リオンさんのことを〈ネコちゃん〉と呼ばせてもらいながらぐずぐずにとろけた感覚が蘇ってきて、早速ちんちんがモヤモヤし始める。
 俺はもうひとつブラウザを立ち上げると、「ダフネ」と「玉葉」をサーチした。どっちも高級クラブだった。公式サイトにアクセスすると、地図でお店の場所を確認する。玉葉は少し遠いけど、ダフネは隣の駅からすぐ近くの位置にあって、俺のマンションからなら歩いても行けそうだった。
 ブラウザを閉じようとして、あることに気が付く。たった今タップした『アクセス』のリンクの隣にあるリンク、『リクルート』の存在に。
 俺は大きく息を吐き、とりあえずシャワーを浴びるために立ち上がった。


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