君のことよく知らないけど 〜延長戦〜

33. リオン

 病院の飯を食うたびに思う。俺も丸くなったなと。
 三怜の寿命が縮むかもしれないと思うと、俺はヤツが望むまま入院するしかなかった。すげえ顔してたな、あいつ。俺がぶっ倒れて、呼吸が止まった朝。
 正直言わせて貰えば、そのまま終わりたかった、俺は。自分ちで。三怜の隣で。
 だが三怜が呼んだ救急車の中で、俺は生き返った。余計なことすんなと思ったね。でもアイツの顔見たら、そんなことは言えなかった。流石の俺でも。言えるやついないと思うよ、あの顔。
 俺にとって自分の死は、ある意味他人事だった。自分が死んだ後のことなんか、知ったこっちゃねーよって思ってるから。だが三怜にとって俺の死は、他人事じゃなかった。だから俺は、三怜の思うとおりにしてやる義理があるなと。そういう結論になった。
 そういう訳で俺は入院して、毎日旨くもない飯を食う羽目になっている。どうせ死ぬなら、自分の家で毎日好きなもん食いたいと思う。だが逆に言えば、どうせ死ぬんだからあと少しぐらい、後に残る三怜の言うこと聞いてやってもいいよ。

「三怜くん? リオンだよ」

 今日も俺は病室のベッドの上で、端末のカメラに向かいひらひらと手を振る。この録画は『連絡用』ってフォルダに突っ込む予定だ。『連絡用』フォルダが何かというと、俺が倒れたり死んだりなんかあった時に、あらゆる手続きがスムーズに行くよう、必要な連絡事項を入れてあるクラウドの共有ファイルだ。三怜は呪いのアイテムみたいに嫌がって寄り付かねえから、こうして撮った動画も、たぶん俺が死んでから見るだろう。

「今……16時16分だ、すげえ。お前、今店行ってるよ。その隙に撮ってる。お前さあ。俺があと100年生きてたらどうするつもりだったの? クビじゃん。病院も出禁だよ」

 三怜は俺が入院して以来、片時もこの病院を離れようとしなかったから、ダフネのママから電話が来たが、三怜は出ようともしなくて俺が代わりに出た。ママは三怜に休みをくれた。
 俺は今朝病室で8回目の朝を迎え、まだ心臓が止まる気がしなかったから、三怜に店に行ってこいと命じた。どっちにしろ俺が死んだら、色々手続きを頼めるのはコイツだけだから、何日か休みを貰う必要があるだろう。無断欠勤なんかしないで、事前に上司とちゃんと話し合っておいて欲しかった。三怜は「そんな責任ある立場じゃないし、平気ですよ」とか言っていたが、俺は一喝した。あいつの経歴と性質じゃ、この国で企業には雇ってもらえないだろう。何とかやっていけてる今の業界で、一人前になるしかない。だがそんな景気の悪い話をタラタラすんのはイヤだったから、「仕事舐めんな」とだけ言って放り出した。
 それでもぐずぐずするかと思っていた三怜が、割に大人しく出て行ったので俺は安心した。病院で1週間を過ごし、俺の顔色が良くなり、文句を言いながらも飯を食い、トイレに行ったりテレビを見たりしてるのを見て少しは落ち着いたらしい。
 さらに昨日医者が放った一言、
「安定してるので、ご自宅に戻れるかもしれませんね」
 を、俺が元気満々になって退院する、と曲解していた三怜は
「お土産買ってきますね」
 なんて呑気なことを言っていた。そういうことじゃなくて、死にに帰るだけなんだけどな。
 感情がすぐ表情として現れる三怜の顔を思い出しながら、俺はカメラを見つめる。

「あとお前さ。俺が具合悪い時にするあの顔。あるじゃん? あれさ、ああいう顔もうしないでね? マジでやめた方がいいよ。いつもあんな顔してたら客来なくなるよ」

 恥を忍んで言うと、本当は客が云々というより、俺が嫌なだけだ。三怜があの家で、一人で、あの顔して暮らしてたら。俺は本当に嫌んなっちゃうよ。
 毎日笑顔で過ごしてね、とまでは言わねえが。できれば、いい思い出として残りたい。辛い病気の根源みたいなもんになりたくない。

「えーと。あと……ああ、そうそうお前端末に俺の写真色々持ってたよな? なんか変な写真ばっかでしょ。あれ嫌だからさ〜。今から……自撮りしてクラウドに入れとくから。なるべくいいの撮るから、他のヘンな写真は消しといてね」

 アイツの端末に入ってる自分の変な写真は、俺にとって心残りの一つだった。もっと早くこうすりゃよかったんだな。俺は目に入るたび文句言ってたのに、三怜は黙って聞こえないフリをするか、白々しく話を変えるか、小さく「嫌だ」と言うだけのやり取りで終わっていた。
 他にも何か言おうか考えた後、結局何も言わずに俺は録画停止ボタンを押した。
 録画は5分にも満たなかったが、これでいいやと思った。別にこれを見てアイツにどうこうして欲しいとか、何を思って欲しいとか、そういうもんでもなかったから。三怜は写真だけじゃなく、動画もよく撮りたがってたんだが、俺は写真だけじゃなく動画を撮られるのも嫌で……いつも断ってた。別に悪かったなんて思ってないが、まあ、あったら喜ぶかもしれない。
 俺はよっぽど、アイツに借りを残したくないんだな。
 端末のカメラを録画モードから写真モードに変えて、さらにインカメラに切り替えるとモニタの向こうの自分と目が合った。背景は寝ぼけた色の病室の壁紙と、なんだか変にテカってるベッドのヘッドボード。冴えねえ背景だが、だからと言ってじゃあ青空とか、虹とか、森とか滝とか、そんなんだって不気味だから、別にこれでいいや。
 西日でいつもより更に茶色っぽく見える髪は、寝癖がついてたから手でかき回したがあまり変わらなかった。自慢じゃないが……いや、自慢になるな、俺の顔は歳の割になかなかキレイだった。たるんでねえし、シワもない。ニヤリと笑って、撮影ボタンを押した。
 取ってつけたような写真が出来上がった。
 歯が見えてると、頭悪そうで、根性も悪そうに見える。いいの撮るからなんて言ったけど、あんまよくねえな。
 今度は笑わないで、口も開けないで撮ってみる。
 すんげ〜、辛気臭えのが出来た。こんなの手元に置いてたら、呪われそうだぜ。しかもこいつ、死んでんでしょ? 絶対やばいよ。却下却下。
 ああでもないこうでもないとパシャパシャ撮ってるうちに、三怜が帰ってきてしまった。慌てて端末を置く俺に「何してたの?」と聞いてくるので、それには答えず「早くない?」と逆に訊く。
「うん。やっぱりちょっと、心配だったから。でもちゃんと話してきたよ」
「ほんとに〜?」
「ほんとだよ」
 三怜は何が嬉しいのか、ニコニコしながら俺を見る。それから手に持っていた紙袋をベッド脇のチェストに置いて、「急いでたけど上乃にも寄って、巻き寿司買ってきたよ。お寿司食べたがってたでしょ」と言った。
「巻き寿司〜〜? お前……寿司ってのは鯵とか平目とか、そういうもんのことだろ。ノリマキなんか寿司じゃねえよバカ」
「巻き寿司って名前なんだから、お寿司だよ」
「お前ホントに日本人かよ」
 俺はブツブツ言いながらも、三怜が紙皿に取り分けた海苔巻きを手に取り頬張った。食べ慣れた上乃の巻き寿司は、卵と胡瓜と魚卵の味がする。病院食にあてられた俺の脳は、文句を吐き出す口とはウラハラに大興奮していた。
「美味しい?」
「オイシイ」
 素直に認めると、三怜はまたニッコニコになった。
「お前も食えよ」
「全部リオンにあげる」
「え〜? なんで?」
「美味しそうでカワイイから」
「……お前はメシ、マズそうに食うもんな」
 なんて返していいかわかんなかったからそう言ったら、三怜はちょっとだけムッとした顔になったけど、すぐにまた機嫌の良さそうな顔で
「明日は何が食べたい? またどこかに買いに行ってくるよ」
 なんて言った。
 明日も生きてるかな〜……とは言わず、代わりにこう答えた。
「明日もこれでいいよ。お前自分の分もちゃんと買ってこいよ」
 食べ慣れた旨いもんを見慣れた好きなヤツと食うのも、なかなか悪くないなと思いながら。


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