君のことよく知らないけど 〜延長戦〜

3.

 指示されたホテルの指示された部屋に行くと、待ち合わせ時間より10分早く着いたのに、エリスは先に来て待っていてくれた。写真通りの耳と尻尾。顔は、19歳よりはもう少し大人っぽく見える。店によって、雇用年齢や公開年齢の是非なんて滅茶苦茶だ。俺みたいにCSしてたら、さらに「年齢」という基準はあやふやになってくる。しかもそれがキャットレイスという別種族となればもう……。
 リオンさんの甘ったるい垂れ目と違って、キリリと目尻の釣り上がった凛々しい目元が、俺を見て優しげに微笑んだ。「こんばんは」と挨拶してくれる口元からは、リオンさんと同じ鋭く尖った犬歯が見える。すごく痩せてて、後ろから見たらちょっと女の子と間違えそうだ。リオンさんも細かったけど、日に焼けててもっと骨張ってるから、女の子っぽくはない。この子はすごく白くて、柔らかそうで、同じ猫でも品種が違うという感じがする。
 俺が挨拶を返すと、エリスは控えめな笑顔を見せた。初対面で、俺の顔について何も言わない人は珍しい。大抵の人は、頼んでもいないのに俺の顔立ちについて反射的に何かしらのコメントをくれる。そういえば、リオンさんも第一声が「キミ、人間?」だったなと、大昔のことの様に懐かしくなる。
「シャワーどうしますか? 一緒に入ります? 別がいいですか?」
 14歳くらいに聞こえる幼い声で、エリスはプロの質問をしてくる。
「一緒がいいな」
 藁にもすがる思いで答えた。”俺が”少しでもこの子を気に入ってくれる様に。
「じゃあ一緒に入ろう」
 俺の思惑を知ってか知らずか、エリスも親しげな口調で子供のように俺の手を取り、スタスタと浴室へ向かう。
「脱がせてもいい?」
 見上げて聞かれ、頷いた。エリスの白い指が俺のシャツを持ち上げ、俺は両手を上げてシャツを引き抜かれる。エリスは俺より30センチ近く背が低いから、かなり猫背になって手助けする羽目になった。シャツが顔を通り抜ける瞬間、リオンさんは下しか脱がせてくれなかったなって、思い出してしまった。よく覚えてないけど、上は自分で脱いだ気がする。涙がこぼれそうになって、慌てて高速でまばたきを繰り返す。
 エリスは下も優しく脱がせてくれた。ほっそりした手でベルトを外し、ファスナーを下ろし、ジーンズを引き下げる。あの日はリオンさんの方がジーンズだったっけと思いかけ、頬を引きつらせながら無理やり思考を止めた。皮肉なことに、断片的にしか思い出せなかったあの夜の記憶が、よりにもよってこういうことになってから、俺を嘲笑うかの様にひらひらと浮かび上がってくる。
 二人とも全裸になると、エリスは俺の手を引いてシャワーブースに入っていく。お湯を出して、温度を確かめてから、俺に先にお湯を浴びせてくれる。俺が暗い顔で黙っているせいか、細かく色々と質問しながら体を洗ってくれた。洗ってもいい? 洗う方が好き? 触られたくないところはある? 
 何をしてもされても、リオンさんのことを思い出してしまって、幸先悪い事この上なかったけど、この子が優しくていい子だってことはすぐにわかった。感じの悪い相手だったら、この時点で服を着直していたと思う。
 裸のまま部屋に戻ると、ベッドに横になる様に言われ、俺は黙って言う通りにした。事前のカウンセリングで、「SかMで言ったらM」って伝えてたけど、横たわった俺に、エリスはもう一度質問してきた。
「ミレイさん、シートにMって書いてたけど、今の気分は?」
 俺を見下ろすエリスの瞳は、気遣わしげな色をたたえていた。きっと俺、相当情緒不安定な顔をしていたんだと思う。ちんちんも、お風呂で身体中触られても、全然反応してなかったし。
「……わかんない。ごめんなさい」
 俺は本当に悪いと思って謝った。客がこんなんじゃ、この子も困るだろう。お金は事前に手続きしてあるけど、俺の満足度が低いのを自分のせいだと思わせたくはなかった。
「いえ、謝らなくていいんですけど……もし気分があんまり乗らない様なら、今からでもキャンセルして大丈夫ですよ」
 エリスは「よくあることですよ」とでも言うような顔でそう言ってくれる。なんていい子なんだろう。余計に気分が沈んでしまう。俺はキャンセルしてすごすごと家に帰る自分を想像した。誰もいない部屋。食べ散らかしたお菓子のゴミと、酒瓶、空き缶に囲まれてタブレットを凝視する怨霊の様な自分の姿。
 一分一秒でもいいから、あの部屋に帰るのを遅らせたくなった。
「……キャンセル、しません。勃起しなくても、やるだけやってくれる? ごめんね……」
 恥も外聞も無くそう言うと、エリスは「大丈夫だよ」という顔をして、「わかりました。嫌になったらまた言ってね」なんて言ってくれた。金色の尻尾が優雅に揺れる。それを見ても全く股間は熱くなってくれない。リオンさんによく似た耳は、リオンさんほど頻繁に動かない。

「ミレイさん、ちょっとSやってみますか? 嫌じゃなければ」
 俺の脚を丁寧に揉みほぐしながら、エリスは言った。
「S?」
「はい。ちょっと縛ったりとか、叩いたりとか。元気ないみたいだから、虐められるよりも、もしかしたらその方が気が晴れるかなって」
 そういうものかな、とぼんやり思う。でも、この子はプロなんだし、俺はこれ以上悪くなることはあり得ないし、試してみようかという気になって、頷いた。
「Mしか経験ないですか?」
 エリスはベッドから降りて、何やらバックパックをゴソゴソやっている。
「うん……ていうか、Mっていうのもどっちかと言うとってだけで、そういうのはあんまり……」
「そうなんですね。気に入らなかったら、すぐやめていいですよ」
 そう言って振り返ったエリスは、細いロープみたいな紐と、黒い柔らかそうな布切れみたいなものを持っていた。裸の股間では、甘勃ちしたちんちんが可愛らしく揺れている。
 ああ、この子は好きな相手じゃなくても興奮できるんだ、と思ったら、羨ましさのあまり血の気が引いた。リオンさんも、きっと同じなんだろう。俺がおかしいんだ。
「ミレイさん? ちょっと、顔色が悪いみたいだけど……やっぱりやめましょうか?」
「いや……大丈夫」
 ちゃんと俺の様子を観察して、その都度気を遣ってくれるのが逆に辛い。リオンさんなんか、俺が最初タチをやろうとしてたことに気づいた瞬間、あからさまに顔を歪めて苛立ちを隠さなかった。俺がウケをやりたがらなかったら、すぐにでも帰ってしまっていただろう。
 嫌だ。これ以上リオンさんのことを思い出したくない。
「……ミレイさん? 本当に大丈夫?」
 あらぬ空間を見つめ続けていた目を上げてみると、エリスが心から心配そうな顔をして俺の顔を覗き込んでいた。こういう優しい子を好きになりたかった。リオンさんなんか嫌いだ。好きになんかならなきゃよかった。
「大丈夫……それ、どうやって使うの?」
 俺は起き上がってエリスの顔を正面から見た。エリスは少しほっとした様な表情になると、ロープで手足を縛るやり方と、目隠しの付け方を教えてくれた。バッグパックを指差して、中に何があるかも、その使い方も丁寧に教えてくれた。


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