君のことよく知らないけど 〜延長戦〜
「……あのさ。おまえの考えてることも言ってることも……なんかあんまよくわかんないんだけど。俺に好きになってもらえなくて悲しくて泣いてるってこと?」
「……まあ、そうです」
「だから付き合うのもやめるってこと? だから部屋に入るなとか言ってくんの?」
「……そう、です」
「じゃあそれって、あの〜、何だ。別れる? ってやつ?」
「そ……」
三怜は口を半開きにしたまま固まり、また気味の悪い泣き方が再開された。動く絵の様にスルスルと涙だけを垂れ流し、そのまま無言で微動だにしなくなっちまう。俺はトイレットペーパーをちぎりながら聞いた。
「そ……うです? 別れたいの?」
「わ……わか……わか……わ、わか、」
三怜は唇と下瞼を震わせながら俺の首元を見つめ、バグった音源の様に同じ音を繰り返す。ものすげえ不気味なんだけど、このままほっといてこの場を去る方が怖い気がした。こいつの情緒が安定するのを見届けて、安心して帰りたかった。
「別れたいの? 別れたいって言えなくて困ってんの?」
「ち……そ、そう、かな……そう……かも」
「そんな泣くほど別れたいならいいよ。別れるか? 連絡先とかも消して欲しけりゃ消すし。店も行かねえよ」
「なん……そん、何なんですかマジで!」
三怜はいきなり大声を出して俺をギラリと睨みつけた。俺は肩が振動するほどビビり散らし、トイレットペーパーを取り落とす。
「何なんですか? 本当にどうでもいいんですね俺のこと。全部俺次第ですか? リオンさんの気持ちはどこにもないんですか? 付き合うって、そりゃ俺が頼んだからですけど、こんなに中身のない付き合いなら、無いのと同じじゃないですか!」
三怜の様な顔の人間が本気で怒ると、その様相は人を恐怖に突き落とす。
俺は不覚にも言葉が見つからず、本心を言えば前言撤回、今すぐ飛んで逃げ帰りたくなったが、なんとかヤツの目を見返すことだけはやめずにいられた。何か言わねえと。でも、なんて言えばいいわけ?
こいつからすれば俺が悪いと言いたいらしいが、本気で何が悪かったのか分からなかった。中身がある付き合いって、何? 中身があるもないも、付き合うってことがまず俺にはわかんねえしさ。それでもコイツとは時々セックスして、飯とか一緒に食って、結構悪くない付き合いが出来てたと、俺は思ってたんだけどね。
「悪いけど……何に怒ってんのかわかんないんだよね。俺はおまえが付き合いたいって言うから、お前、俺の頼み聞いてくれたし、言う通りにしたつもりなんだけど。どういう付き合い方なら満足なの?」
「……そうですね。もういいです」
三怜は心底疲れ切ったって顔をして下を向く。もういいですってことはつまり……
「じゃ、やっぱ別れる?」
「待っ……う……わか……わ……わ、」
またこれかよ。
「どっち? 別れないの? じゃ、このまま付き合う?」
下を向いている三怜の顔を覗き込むと、涙でベタベタの頬がピンクに染まった。
「付き……でも……うっ、うう……」
「やなの? 付き合うの嫌になったんだろ? 別れた方がいいの?」
「うっう……うぅ……わか、れ……わか……」
「別れたくないなら付き合い続けるってことだろ? 俺と付き合ってたいんじゃねえの?」
「ううっ……う……付き合い……付き合い、た……いけど……ううううぅ」
別れるかと聞くと青くなり、付き合うかと聞くと赤くなる。
延々とそれが続くもんだから、だんだん俺は面白くなってきてしまった。何なんだよこいつ。
さすがに笑っちゃ悪いと思い、笑いを押し殺した俺は真面目に質問してみた。
「さっき言ってたけど、中身のある付き合い? って何? どうしたら中身があるわけ?」
「そ……それは……つまり、ちゃんとリオンさんが俺のこと好きになってくれて、お互いちゃんと好きで、みたいな……」
ちゃんと好き、ねえ。
「俺がどうしたらちゃんと好きだと思うの? お前は」
「え……? それは……だから、俺のこと一番優先してくれて……なんて言うか、特別な存在だって思わせてくれて……だから……」
三怜は俺の目を見ないままブツブツ言っている。
俺は他に見るもんがないからその顔をずっと見ていた。
三怜の顔は疲れ果てていた。勘弁してくれと書いてあった。美術品のような美しい顔に、地下鉄の落書きのように殴り書きされていた。悲惨な有様だった。心の底から可哀想になった。
「じゃ結婚する?」
溢れ続けていた三怜の涙が止まり、同時に俺の時も止まった。
もしかして今喋ったの俺? なんて言った?
泣きすぎて真っ赤に腫れ、それでも美しさを損なわない三怜の両瞼が、バチンと涙の粒を弾き俺の方を向いた。
「今……何て……」
三怜の涙が止まり、真顔で俺の顔を見ている。やばいやばいやばい嘘嘘嘘嘘。でも嘘とか言ったら刺されそう。なんでこんなこと言ったんだ?
俺の思考回路は大渋滞を起こし、代わりに口が勝手に回りまくっていた。
「あ……じゃなくて、あ〜、一緒に住む? って言いたかったんだよね、ははは……」
言いたくねえよ別に! 適当なことばっかり吐き出す自分の口を縫い付けたくなる。自慢じゃないが俺は他人と一緒に住んだことなんかねえんだよ。家族と住んでたのだって遥か昔のことで、それすら我慢できなかったんだ。それに比べたら三怜はまあ、仕事中は静かにしてるし、飯も作ってくれるし家事もやってくれるからマシな方か? ……っていやいやいやいややっぱり無理でしょ無理無理無理無理……
「え……ほん……え? 嘘……」
三怜は今や耳まで赤くなって高速で瞬きを繰り返し、目玉を輝かせながら俺を見ている。やばいよこれ。どうしよう俺マジでコイツと一緒に住むの?
でも、三怜の疲れ果て絶望した顔がみるみる生気を取り戻し、実年齢ではなく肉体年齢相当の顔に戻っていくのを見るのは、なんて言うか……少し気分がよかった。
「……そんなに嬉しい?」
「嬉しいです……て、いうか……ほ、ほん、ほん……ほん、と、に」
またバグっちゃったよ。三怜は赤い唇を噛みながら震える声で呟いている。
俺は腹に力を入れてすっくと立ち上がった。十数年ぶりに家族のことを思い出していた。俺が思い通りにならない子供だと知って興味を失った母親に代わり、俺の面倒を見ていた祖母のことを。
『あんたは所帯を持てないだろうね』
口の悪い婆さんだった。婆さんの言葉には二つの意味が含まれていた。俺の性格上の問題と、身体的な問題だ(前者について説明は省く。後者についてだが、つまるところキャットレイスとはある種の遺伝性疾患であり、X染色体を一つしか持たない雄の場合、寿命がクソ短いという問題だ。つまり俺は早死にする)
俺は婆の不吉な予言に対し、あんたの娘が考え無しに遺伝子操作なんぞしたせいだろがとムカついていた。
だが今考えると、あの婆さんと俺はよく似ていた。母親が遺伝子操作なんぞしなくとも、あの婆さんの遺伝子が連なってるんじゃ、いくらか長生きしたところでその内容は大して変わらなかっただろう。しかしあのクソババアも一度は結婚して孫までもうけたんだ。俺にだって、誰かと一緒に住むくらいのことが出来たっておかしくない。そうだよ。ほんとに無理になったら追い出せばいい。家賃入れさせたら俺だってラクにはなるわけだしな。
少し前向きな気持ちで段ボールだらけのリビングに目をやり、その後三怜を見下ろした。頬には血色が戻り、元気そうだ。さっきは死んじまいそうな顔してたもんな。大丈夫大丈夫。俺だって死ぬわけじゃなし。
いや、死ぬんだった。ははは。笑えねえな。くそったれ。
俺は無理矢理ニッコリして、三怜に言った。
「ほんとだよ。家賃入れてくれるならウチ来ていいよ。ここお前には狭くない? 床抜けちゃうんじゃないの?」
「そんなに重くないです……けど、行きたい、リオンさんの家に」
三怜は初めて出会った時に俺の腰を抜かしかけた、あの世にも切なく儚げな顔で俺を見上げていた。
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