君のことよく知らないけど 〜延長戦〜
女の子たちがやっと帰り(第一印象はティンカーベルだったのに、帰る頃にはゴジラにしか見えなくなっていた)、おしぼりでラメや口紅を拭きながら奥に向かう。
ずっと、ずーっとリオンさんのこと気になってたけど、他の席からほとんど見えない半個室に入られちゃったから、様子見たくても見られなくて落ち着かなかった。出入りする人間はチェックしてたけど、高い酒ばっかりガンガン運ばれてるのも気になった。まるでホストにランキングがある店の決算前みたいだ。
恋人が自分じゃなく同僚に貢いでいる現実は直視に耐えなかった。全身の血流が心臓で停滞し、
「三怜くん手がつめたーい!」
なんて女の子たちに騒がれた。俺は右からも左からも手をこねくり回されながら、ヘルプのキャストやスタッフが出てくるまでの時間を計算していた。平均2分。入ってもすぐ出てくるから、ずっとアマデオと二人きりなんだ。掲示板の情報によれば、リオンさんてどこの店でもキャストは数人侍らせて遊んでるのに。でも、俺たちが出会った時は俺ひとりで接客してたっけ……えへへ。
……まあマガがそういう店だっただけだけど。
「よう三怜、絞り取ってきたか?」
部屋へ入ると、色っぽく目を潤ませたリオンさんが犬歯をチラつかせながら俺を見る。
今すぐ彼の家に帰りたくなった。
「ずいぶん飲んだんですね。もう帰るでしょう?」
立ったまま尋ねると、「まあ座れよ」とソファの皮に手を置かれた。できればこのまま手を引いて立ち上がらせ、さっさと店を出たかったけど、彼にその気はないみたい。
俺が迷ってると、ヘルプのキャストがやってきた。何を持ってきたかと見てみたら、この店で一番高い酒だった。
「……まだ飲むんですか?」
諦めて腰を下ろす。アマデオが酒を受け取り、リオンさんのグラスに注いだ。これはおかわりらしい。
「三怜くんも手伝って」
アマデオが新しいグラスに酒を注ぎ、俺の前に置いた。
「無理して空けなくてもいいでしょう。具合悪くなりますよ」
グラスを持つリオンさんの手を掴んで言ったら、
「金がなくなんないんだよね」
と呂律の回らない声で返事をされる。
「無くなったら困るでしょ」
「でも約束したんだよ」
「約束?」
「そうそう」
リオンさんは俺の手を引っ掛けたままグラスを口に運ぶ。俺は彼に乱暴できないから(注:セックスの時は除く)、手から力を抜き彼の邪魔をしない様にした。
「アマデオにご褒美あげんの」
「……ご褒美?」
「うん。世話んなってるからさ」
「世話って……?」
アマデオの方に目をやると、一瞬だけ目が合った後すぐに逸らされた。美しい手を手際良く動かし、テーブルに散らばったチーズの欠片やナッツの殻を甲斐甲斐しく片付けている。リオンさんが食べこぼしたんだろう。彼のズボンにも細かい破片が飛んでいて、アマデオは母親の様にそれを払ってあげている。でも本当の母親なら、こんなになるほど飲ませたりしない。
「リオンさん、もう帰りましょう。体壊しますよ」
「や、閉まるまでいるよ」
「……じゃあソフトドリンクにしましょう」
「それじゃ大した払いになんねえだろ」
いつも明るく澄んだ瞳が、暗い部屋のせいで大きく瞳孔が開いてしまって、重く曇りながら俺を睨む。
「……何で急にそんな大金使わなきゃならないの? ていうか、この店リオンさん結構つけてもらってますよね? こんなに頼んだら流石にサービスしてもらえないですよ」
「今日は払うよ」
「なんで……?」
「何で何でってうっせえなあ。アマデオ、こいつつまみ出して」
これだよ……! 嘘だろ? そもそも指名変えてくれないのだって文句も言わずに我慢してるのに、こんなの無いじゃないか!
怒りと驚きで固まっていると、アマデオが無表情にこっちを見た。だけど俺は見逃さなかった。彼の目が一瞬キラリと光ったのを。
リオンさんは細い手首をフラフラさせて、俺に向かってあっちに行けとばかりにシッシと手を振る。
「な……ちょっと待って下さいよ! リオンさん俺にも一杯入れてくれるって言ったでしょ? 一緒に帰るって言ったじゃないですかっ。なんで追い出そうとするの?」
「お前がうるさいからだよ。俺の仕事も手伝わねえクセに、遊びの時までジャマすんなよ」
「なん……! 仕事って、だって……俺リオンさんの仕事教えてもらえてないですし、リオンさんだって別に俺の仕事手伝ってくれる訳じゃないでしょっ?」
「手伝ってほしーの?」
リオンさんは酒を口に運びながら横目に俺を見た。俺は自分の口に出した言葉の意味を考えた。
「……手伝って欲しいとか、そういう問題じゃないですけど……」
「じゃ、いいだろ。アマデオには昔から仕事も含めて世話になってるから、たまにはお礼したいだけ。これくらいで破産したりビョーキしたりしねーからうるさく言わないで?」
リオンさんはグラスを置くと、俺のアタマをガシガシ撫でた。今まさに放り出されかけたのに、一瞬で嬉しくなってしまう自分が憎い。
アマデオは表情を変えず、黙ってリオンさんのグラスに氷を入れ、酒を注ぎ足している。リオンさんの体のことも考えず、黙ってお金ばかり使わせるヤツなんかに負ける訳にはいかないと思った。
「……仕事って、モデルのことですか?」
「ん?」
「アマデオに世話になった仕事って、この前言ってたモデルの件ですか? 昔からって、どんなことで世話になってるって言うんですか」
「あ〜、モデルいいな。そうだよ、お前でいいじゃん」
リオンさんは俺から目を逸らし、手も離し、アマデオの方を見た。
「アマデオ、お前モデルやんない? 写真で一件だけ。バイトで」
「え……」と俺とアマデオの声が重なる。リオンさんは完全にアマデオのほうに向き直り、彼の顔に触れた。
俺の心臓は縮み上がった。
「なんの話ですか?」
アマデオは困った様な微笑みを浮かべてリオンさんを見つめ返す。いやだ。やめて。俺がいるのに。俺がここにいるのに。ホテルの部屋の扉。リオンさんの後ろ姿。淡いグレーのフローリング。白いシーツ。リオンさんの黒い髪と小麦色に焼けた肌。クリーム色の壁。アマデオの茶色い髪。見たくない。見たくない。見たくないって言ってるだろ!
「リオンさん!」
手を伸ばして彼の二の腕を掴む。
リオンさんは「いッてぇな!」と叫びながら俺を見た。その声と視線の鋭さに、我に返って全身の緊張が解け、力が抜けて手も離れた。
「三怜! お前力つええんだよ馬鹿犬! 肩外れんだろ!」
リオンさんの手もアマデオの顔から離れ、今度は俺の首に伸びてくる。細い指が俺の頸動脈を圧迫し、爪が皮膚に食い込んだ。俺が怯んで体を引いたら、リオンさんはソファの上に座り直して膝を立て、俺にのしかかると本格的に首を絞めにかかった。
「ちょ、ちょっと……何してるんですか、落ち着いてっ」
アマデオが慌ててリオンさんを止めにかかるも、リオンさんは意にも返さず更に力を込めてくる。
「三怜てめえ! さっきから好き勝手言いやがって、そのうえ俺に怪我させる気か? あ? ご主人様が誰か忘れたのか、ああ!?」
「ルカさん! 三怜くん死んじゃいますよ!」
「馬鹿犬には躾が必要なんだよ! そうだろ三怜? な? 俺の犬なんだもんなおまえ。めッ! 乱暴して悪い子! ステイ!」
「乱暴してるのはルカさんですよっ。ちょ、マジ……誰か! 誰か来て!」
怒っているリオンさんは美しい。豊かな尻尾は逆立ち、緑の虹彩が爛々と燃え盛りながら俺を見下ろす。怒りに赤く染まった細い首には金のスネークチェーン。彼が腕に力を込めて俺を揺さぶるたびに、繊細な鎖骨の上でさらさらと揺れる。
ずっと見ていたいのに、だんだん俺の視界は暗くなってきた。焦点が定まらず、赤黒い天井だけが見える。あれ? この店の天井ってこんな色だっけ?
バタバタと人の足音が遠く聞こえたと思ったら徐々に遠ざかり、代わりに鈴を鳴らす様な耳鳴りを最後に何も聞こえなくなった。
リオンさんのシャンプーと酒の匂いに包まれながら、俺は意識を手放した。彼がこっちを向いてくれたことに、幸せを感じながら
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