君のことよく知らないけど 〜延長戦〜
リオンさんと付き合い始めてからも、俺は例の掲示板をちょくちょくチェックしていた。水商売関係のヲチスレというやつ。時々〈ネコちゃん〉の愛称でリオンさんの話題が出るからだ。
俺がリオンさんの家に出入りする様になり、好みに合わせて寝る様になったからか、〈ネコちゃん〉の遊びの噂は減った様だった。元々店で遊ぶのが好きなだけだったのか、実際寝ていたのは例のアマデオ以外、特定の男は何人もいないみたい。
でもそんなの全然嬉しくなかった。余計にアマデオが憎くなる。リオンさん、モテるのに、よっぽどアイツが気に入ってたのかなって思ってしまう。
ダフネで同僚になってしまってから、彼を見るたびに暗い感情が湧き起こっていた。だから控え室でママに
「ルカくん最近来ないわね」
なんて話を振られた時、アマデオがすぐ側にいるのに気づいた俺は思わず言ってしまった。
「ルカさん、今お仕事忙しそうなんで」
「あら、三怜くん何か聞いてるの?」
俺から見るとママを挟んで向こう側、少し離れて部屋の隅に座っているアマデオの反応をちらりと見ると、彼は俺たちの話を聞いてるんだか聞いてないんだか、何の反応も見せずに中空を見つめながらペットボトルの水を飲んでいる。狭い部屋だから、聞こえてないってことは無いはずだ。
「っていうか、あの、俺ルカさんの犬なんです」
ぶふーっと派手に破裂音が炸裂し、見るとアマデオが顔とスーツを水浸しにして咳き込んでいた。振り向いたママは引いていた。
「ちょっと……あっくん大丈夫?」
「大丈夫です。すいません」
付き合ってるって言うつもりが、リオンさんとのプレイを思い出してしまい変な言い方になってしまった。ママは俺のほうに向き直って言った。
「犬ってなあに? ヒモ? あ、働いてるからヒモは無いわね?」
「あ……はい、あの……付き合ってる、という、意味で」
バシャン! と派手に水音が響き、見るとアマデオが靴と床を水浸しにして固まっていた。飲んでいたペットボトルを落としたらしい。ママの20代にしか見えない顔が一気に40代になる。
「ちょっとあっくん!」
「すいません」
想像以上のアマデオの反応に、俺の溜飲はわずかに下がった。
アマデオとシフトが被る度に、リオンさんのこと、悔しい気持ちを抑えて根掘り葉掘り聞いてたら、コイツがリオンさんに商売抜きで好意持ってるのは何となくわかってしまった。もちろん俺がリオンさんのこと好きなのも、コイツにバレてるだろう。
それなのにこの男は全然焦っていなかった。ちょっと面倒くさそうにしてたけど、俺を牽制しようとしたりはしなかった。俺なんか眼中にないみたいに。俺はめちゃくちゃ意識して、めちゃくちゃムカついてるのに。そのことが更に俺をムカつかせた。
だから言ってやりたかった。俺はお前みたいにただのセフレじゃなくて、付き合ってるんだぞって。だから諦めろって。獲物を狩る狼みたいに辛抱強くチャンスを待ったりせず、今すぐキッパリと諦めてくれって。
だってリオンさん、コイツが告白したら、受け入れちゃうかもしれない。コイツのことタイプなのか、好きなのかって聞いた時、リオンさん否定しなかったし。
そんなの絶対イヤだった。だからはっきり言っておきたかった。
いくら昔からの付き合いだって、今実際にリオンさんと付き合ってるのは俺だし、セックスしてるだけで満足してるお前なんかより、俺の方が全然リオンさんの犬にふさわしいんだって。
「ねえ、じゃあウチに来てくれたのもルカくんのため?」
アマデオの醜態に眉をひそめていたママがくるりとこっちに向き直り言った。
「ルカくんに合わせて店を変えたの? 面接ではマガは合わなくて〜なんて言ってたけど」
「……ええ、まあ」
ダフネに来たときはまだ付き合えていなかったけど、まさか
「片思いで相手にされなくなったので、住所を割るために薬を盛りに来ました」
なんて言えないから俺は目を逸らした。アマデオが俯き加減に俺の方を見ていて、「本当かよ」とでも言いたげな目をしているのが見える。
「ふうん。でも彼、色んなお店に行っているでしょ。確かにマガは普通の人がしょっちゅう通える店じゃないとは思うけど」
それは確かに問題だった。本人にも、一度話してみたことがある。
「ホストがいる店、もう行かないで」
二人で部屋で飲んでたとき、思わずぽろっと出た一言。
並んでソファに座り、俺の隣でビールを飲んでたリオンさんは、え? って顔しながら「え?」って言った。
「何で?」
「……イヤだからです」
「何で?」
「イチャイチャするでしょ」
酔ってたし、そんなこと言わなくてもわかるじゃんと思い、俺はリオンさんの手首を掴んでしまった。結構強目に。
リオンさんは、ハァ? って顔しながら「えーっ」って言った。でも俺の手は振り解かず、そのままじっとしててくれた。
「イチャイチャって何? どこから?」
「どこからって……」
「店でそんなエロいことしねえけど」
「エロいことなんて絶対だめ!」
俺はカッとなってますますリオンさんの手首を強く握ってしまって。
「いいいいたいいたいいだだだだだ」
「あっ、ご、ごめ、ごめんなさい」
リオンさんは服にビールを溢してしまい、手首には俺の指の痕が赤く残った。
「んだよも〜、臭くなっちゃうじゃん」
フラフラしながらリオンさんは立ち上がり、スウェットを脱ぎながら何処かへ行こうとするので、俺はその腰にすがりついた。
「リオンさんダメ! どこ行くの?」
「どこ行くのって、おめえが酒こぼすからだろ!」
リオンさんが俺の腕から逃れようとして体をよじり、俺は逃すまいとしてますますしがみついた。何度抱いても細くしなやかで、気を失いそうに素敵な腰だ。
「だめ、どこも行かないで。誰とも仲良くしちゃだめ」
強く引っ張り寄せて、ソファの上に押し倒す。リオンさんはくしゃくしゃになった前髪の下で、下瞼を震わせながら薄い唇を歪めた。
「お前は店で働いてんじゃん。それはいいのに俺はだめなわけ」
「俺、色恋かけてませんよ」
「俺だってかかってねえよ」
「でもリオンさん口説くじゃないですか!」
「本気じゃねーよそんなもん!」
「ああそうですよね俺にも本気じゃなかったですもんね」
「ああそうだよ何だよ文句あんのか? あ?」
「ありますよ! 俺は最初っから好きだったのに!」
「知らねええええよ!」
二人とも酔っ払いだと、口論に出口が無い。あーでもないこーでもないと言いながら揉み合ううちに(俺はリオンさんの肩を脱臼寸前まで掴んだし、リオンさんは俺の腕に噛み付いた。普通に血が出た)、何でか知らないけどムラムラしてきて、セックスしようとしたけどリオンさんが飲みすぎて勃たなくって、俺が口で舐めてる間に彼は寝落ちしてしまった。
それきりこの話はしていない。
俺が黙って俯いていたら、ママは何かを察したのか
「まあ、業界あるあるよね!」
と慰めにも何にもならない一言を放ち席を立ってしまった。同時にアマデオも席を立ち、こぼした水を拭いたティッシュを丸めながらゴミ箱へ向かう。
ゴミ箱の中にティッシュを落としながら彼が言った。
「ルカさんと付き合ってたんだ」
「え……あ、うん」
「じゃあ何で俺にあの人のこと色々聞くの? 本人に聞いたら?」
アマデオは俺をまっすぐ見つめながら聞いた。なぜかCS前に通院してた頃のカウンセラーの顔が思い浮かんだ。
「え……そ、それは……だって……」
「ほんとに付き合ってるの? 君がそう思ってるだけじゃなくて?」
その瞬間、自分でもびっくりするほどの衝動が脳天を突き上げた。思わず机を叩いて立ち上がりそうになったけど、何とかそれは堪えた。怒りなのか、焦りなのか、恥ずかしさなのか。自分でも何なのかわからない感情。
唇を開いたまま何も答えられないでじっとしていると、
「こういう職場にいるとよくあることだから。普通はお客さんが思うことだけど、あの人かわいいから。そうなっちゃうヤツ、たまにいるんだよね」
俺は膝の上で拳を握ったり開いたりしながら、(かわいいとか言ってんじゃねえ)とムカついていた。やけに上から目線に聞こえるし、「俺は違うけど」みたいな態度も鼻につく。自分だって、絶対リオンさんのこと気に入ってるくせに。
「確かに、俺の片思いみたいなものだったけど、」
俺はテーブルに伏せてあった自分の端末を手に取り、ロックを外した。ホーム画面にはリオンさんの後頭部。黒くてふわふわの髪と、愛くるしい両耳。この前までリオンさんの腹斜筋の接写にしてたんだけど、本人に見られて
「きっしょ!!」
と叫ばれてしまったのでコレに変えた。
メッセージアプリを開くと、リオンさんとのトーク画面が表示される。リオンさん、あんまり返事してくれなかったけど、付き合う様になってから俺もなるべく電話やメッセージを控えめにする様がんばってたら、結構返してくれる様になった。
『リオンさん、おはようございます。今日も俺の恋人ですよね?」
『うん』
『リオンさん、おやすみなさい。明日も俺のリオンさんですよね」
『はいはい』
この程度のやりとりでも、俺にとっては宝物だ。リオンさんがくれた文字を撫でながら言った。
「付き合ってくれるって言ってた。恋人になってくれるって。俺のこと本当に好きかどうかはわからないけど、付き合ってるのは本当だよ」
アマデオは俺から目を逸らしてゴミ箱を見下ろした。ゴミを眺めながら「へえ」とだけ言って、部屋をでた。
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