君のことよく知らないけど 〜延長戦〜

22. 三怜

 18歳の春。ハイスクールを卒業した俺は、それ以上進学はせずに仕事に就くことを選んだ。
 これ以上勉強したいとも思わなかったし、姉との二人暮らしに心底嫌気が差していて、早く一人暮らしがしたいとも思っていたし。進学できるほど勉強も出来なかったし。
 でも俺が出来ないのは勉強だけじゃなかった。何も出来なかった。普通の企業に面接に行っても、なかなか雇ってもらえない上、雇ってもらえてもすぐにクビになる俺に、親代わりだった姉は言った。
「出来ないことやろうとすんのやめなよ。あんたの取り柄は外見だけでしょ。アタシが仕事紹介したげる」
 彼女が紹介できる外見が役に立つ仕事とは、いわゆる芸能界のことだった。 
 芸能界といっても、姉の言うそれはメジャーなメディア関係の芸能ではなく、アングラな舞台関係を指す。彼女は子供の頃から女優になりたがっていた上、好きな作品も尖りまくっていて、学生時代から有志でやっていた舞台で関係者に声をかけられてからは一直線、今では職業劇団の女優というわけだ。
 姉に連れられて劇団の事務所へ行くと、鬼みたいな顔のおばさんのところへ通された。おばさんによれば、裏方の雑用をやれば最低賃金は出すし、将来的に舞台に立つ気があるなら、給与は出ないが稽古もつけるし寮に住ませてもらえるとのことだった。
 俺は舞台に立つ気なんてさらさらなかったけど、彼女は俺の容姿が気に入ったようで、演者を視野に入れることを強く勧めていた。
 いずれにせよ住むところは欲しかったし、劇団の雑用係という肩書きだけで部屋が借りられるか心配だった俺は頷いた。隣にいた姉も怖い顔で俺を睨み続けてたし。姉は昔から俺にはいつもそんな顔してたけど、あのおばさんの鬼みたいな顔は、13年と言う決して短くないCSの後でも忘れられないな。

 姉を始めとする劇団の人たちを見ていると、役者というのはこの世で最も過酷な仕事に思えた。生きとし生ける全ての時間と思考と行動を、仕事のために捧げ続ける。
 姉の人格はともかく仕事に対する情熱は尊敬していたから、俺も素人ながらに与えられた稽古は頑張ってみたし、寮に住まわせてもらっている以上断ることも出来ないから、端役として何度か舞台に立つこともあった。雑用は時間の限り何でもやったし、稽古も真面目に参加してたから、先輩役者や稽古場の先生から褒められることもあった。
 がんばったことが認められるのは俺にとっては初めての経験で、すごく嬉しかったのを覚えてる。でも結局、俺は彼らのように情熱を持つことは出来なかったから、そんな人間が舞台に立っていいのかと思うこともあった。
 
 当然といえば当然だけど、そう思っていたのは俺だけじゃなかったらしく、徐々に周りの人間から陰口を叩かれたり、嫌がらせを受けるようになった。同期の役者はみんな、端役でも自分なりの世界観を表現しようと努力し、それを実践している人たちばかりだったから、そんな情熱も才能もない俺が同じ現場に立っているのが許せなかったんだろう。俺だってそんなことわかってるから、黙って我慢していた。姉には相談しなかった。
「嫌ならやめれば? 他にできることがあるのか知らないけど」
 なんて言われて終わりなことはわかってた。その通りだし、いつか彼らが飽きるか、そうじゃなくても俺は役者になる気なんてないんだから、少し我慢していれば済むことだと思ってた。でも、そうはならなかった。
 
 俺が舞台に上がるようになってしばらくすると、ありがたいことに俺を目当てに観にくる人がちらほら出てきた。なぜそんな事がわかるかと言うと、俺の”出待ち”をする人が出てきたり、俺が写っている稽古場のオフショット(劇団がお客さんを集めるためにネット上にサイトを持ってて、そこに画像や動画を上げていた)にレスが付いたりするからだ。
 劇団の責任者の人たちっていうのは、ファンを持つ役者に目がない。チケットが売れるからだ。
 俺は基礎的な稽古は身につけてたけど演技力なんてなかったし、流石にメインになるような役は振られなかった。でも、舞台に上げられる時間は圧倒的に長くなった。雑用をやる時間は減り、給料は増えた。陰口や嫌がらせはもっと増えた。
 辛い就職活動の末、他にできることは無いと信じていた俺に辞めるという考えは浮かばなかった。外見で勝負できる仕事なんて他にいくらでもあるのに(今の仕事がいい例だ)、まだ子供で、社会を知らない俺にはそれがわからなかった。
 そんな訳で、相手の必要な稽古で皆から無視されようと、寮の自室に落書きされようと、俺は現場に通い続け、そのうち眠れなくなり、通院するようになり、人前に立つ時間が長くなるほど薬の量も増えた。
 そうしてある日突然俺の体は言うことを聞かなくなり、現場はおろか部屋から一歩も出れなくなり、仕事はなくなり、居場所もなくなり、心身まで喪失することを懸念した医者のすすめにより俺はCSという手段を選んだ。
 医療保険を適用しても、俺の雀の涙ほどの貯金じゃ費用に手が届かなかったから(もちろん労災なんてものは降りなかった)、両親から相続していた財産を使う必要があり、財産の管理をしていた姉にはどうしても知らせる必要があり、壮絶に揉めた末、姉とは戸籍を別にして縁も切れた。他に血縁関係のある人間はいなかったから、そのあとはスムーズだった。
 ヤケになってたわけじゃない。祈るような気持ちだった。CSをこんな風に使う人間について、「人生舐めてる」なんて意見を当時ネットでよく見たけれど、俺は真剣だった。
 目覚めた時、自分の性質や考え方が何も変わっていなかったのはがっかりしたけど(変わるのは環境であり自分は変わらないとは言われてたけど)、ちゃんと自分にも出来る仕事も見つかり、リオンさんという生きがいも出来たのに、人に注目されるような仕事をしたらあの頃に戻ってしまいそうで、怖かった。

「三怜?」
 ふと気づくとリオンさんが不思議そうな顔で俺を見上げていた。俺が唇を開いたり閉じたりしているから、首を傾げて目を細めてる。その可愛らしい表情に、強張っていた顔の筋肉が緩み、やっと声が出せそうになった。
「あ、あの……」
「何?」
「あの……俺……あの……」
「何だよ。どうした? 無理? 無理ならいーよ」
 リオンさんは特にがっかりした様子もなく、ふらりとそう言ってくれた。俺は自分にがっかりしたけど、リオンさんのその顔を見たら、少しほっとした。
「すみません……ちょっと……モデルは……」
「チッ、あっそ。んじゃ早く帰れよ。ケチ」
 リオンさんは俺のスネを裸足の足で蹴りつけると、風のように階段を駆け上がって消えてしまった。無理ならいいよと言っておいて舌打ちしてくる気まぐれさが、リオンさんらしいと思い俺は少し笑った。 
 ひとりで笑ってしまったのが恥ずかしく、手で口を覆いながら俯いて彼が蹴りつけたスネを見下ろした。
 俺はハーフパンツを履いてたから足が出てて、リオンさんの足の感触がまだ残ってた。リオンさんは靴下とかルームシューズがキライ。家では必ず素足で過ごしている。冷たくて、さらさらした足の裏。
 俺の過去の嫌な記憶も、リオンさんが蹴り飛ばしてくれた気がした。


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