君のことよく知らないけど 〜延長戦〜

21. 三怜

「何してんだよ、ほら、おすわり」
 俺が返事も出来ずにぼーっとしていると、リオンさんは何でもないことのようにそう言い放ち、またテレビに目をやりながら俺の作ったスクランブルを口に運ぶ。
 嘘でしょ……と思いながら俺は席を立つ。呆然としながら床に置かれた皿を見下ろしていると、
「食わねーの? 不味くないよ」
 とリオンさんはニコニコしてる。
 やっぱり怒ってるんだ……。
 俺は観念して床に腰を下ろした。手を伸ばしてテーブルの上のフォークを取ろうとしたら、
「おいおいおい」
 大きめの声で言われ、肩がすくんだ。
「な、なんですか?」
「何してんの? 犬ってフォークとか使うっけ?」
「え……」
「手も使わねーよな」
「リオンさん、ごめんなさい……俺が乱暴したから怒ってるんですね」
「乱暴?」
 リオンさんは首を傾げた。あれ、もしかして本当に忘れてて、単に趣味で俺をいじめて楽しんでるのか?
 混乱しながら彼の顔を見上げていると、リオンさんは「ああ、」と思い出したように言った。
「お前が馬鹿力なのはわかってるよ。そうじゃなくて、中出ししないお約束でしょ?」
 とろけるような笑顔で俺の頭を撫でる。俺は本当にとろけそうになってぼんやりしていたら、リオンさんは俺の頭を撫でていた手をいきなり振り上げて俺の頬を素早く一発平手打ちにした。
 ばちんと弾けるような音が鳴り、俺の脳は揺れた。
「お漏らしした罰。食ったら仕事するから話しかけんなよ。夜から打ち合わせで出るからそれまでにどっか行って」
 怒涛のようにショックなことばかり言い渡してくる。ひどい。こんなの恋人と言えるだろうか? ひどすぎる。それに、文句言ってるくせにずっとアイドルの番組を見ているし。やっぱりこういう元気で爽やかなイケメンが好きなんだ。
 落ち込みながら俺は皿に向かって身をかがめる。こんなにひどい目にあっても彼の言う通りにしてしまう自分が悲しい。本物の犬だって、飼い主にはもっと大事にしてもらってるんじゃないだろうか。
「三怜、美味しい?」
 リオンさんが体を屈めて俺の顔を覗き込んでくる。床に置いた皿に向かって大口を開けているところなんて、好きな人に見られたくなかった(でも口を大きく開けないとうまく食べれないんだ、やってみればわかると思うけど)。
 それでも、彼に名前を呼ばれると俺はそっちを向いてしまう。多分鼻と口の周りが黄色くなっているだろう俺の顔を見て彼は笑った。
 こんな状況でも、俺の目には彼はとても可愛らしく、カッコよく、大好きな人として映る。犬みたいに食事することなんて、なんでもない。我慢できる。この人が喜んでくれるなら。そばにおいてくれるなら。

 結局、俺は曲芸師のように口だけでパンと卵を完食し(床と服が少し汚れた)、リオンさんは俺の頭上で俺の実年齢の半分くらいの歳のイケメンたちを眺めながら食事し、俺の作った食事を半分以上残して席を立った。
「朝こんな食えん。悪りぃね」
 そう言って彼は俺の頭をポンと撫で、スタスタと階段のほうへ行ってしまう。声をかけようかと思ったけど、どうせ「早く帰ってね」とか言われるだけだろうなと思うと、何も言えなかった。
 2階に行くってことは、多分デスクトップPCで作業するんだろう。仕事中のリオンさんって、近寄らせてくれないし、何も教えてくれないから何してるのかよくわからないけど、デスクトップの時とノートPCの時では画面に写ってるものが違うから、仕事の種類もひとつじゃないのかも。ノートのときはちょくちょく中断したり、他のこともしたりするんだけど、2階に行く時はまず半日はPCから離れない。俺も夜から仕事あるけど、少しでも近くにいたいから、顔見れなくても、しばらく居ようかな。
 汚してしまった床と食器を片付けて、洗濯物も溜まってたから洗濯機を回した。リオンさんは乾燥機を使わないから(「なんか臭い」らしい)、脱水まで終わったら取り出して外に干す。夜ご飯も作って行こうかと考えていると、突然2階の方から
「三怜!!!!!!」
 と大声が聞こえてきて俺はびっくり仰天して心臓が縮み上がった。
 震える左胸部を手で押さえて固まっていると、トントントンと階段を降りる軽い足音と共にリオンさんが現れた。俺に気づくと、
「あ、いた」
 と言って耳を少しだけぴょこぴょこさせた。
 いないかもしれないのにあんなに大声で名前を読んだんだろうか……
「いますけど……なんですか?」
 早く帰れって怒られるのかと思っていた俺は怯えながら返事する。
「まだ時間あんの? お前」
「はい……あの、夜から仕事ですけど、それまでは」
「あー、仕事何時から?」
「7時出勤です」
「んぁーー……」
 リオンさんは可愛い目を細めながら斜め上の空間を見上げている。
「どうしたんですか? 何か用事ですか?」
「んーー、まあそう。お前さあ、モデルとかやったことないの?」
「は?」
 話が飛躍しすぎて俺の口は半開きになった。
「モデル。スカウトとかされるだろ? アルバイトとかで経験ない?」
 なんなんだろう急に……戸惑う俺の意識とは裏腹に、俺の脳はCS前の記憶を探って高速で回り始める。
「あの……ないです」
 街で声をかけられるのは苦手だった。話しかけられた途端に逃げ出すから、スカウトかどうかもわからないけど、とりあえずモデルの経験なんてないから、正直に答える。
「ほんとに? 若い時のことも思い出せよ」
「若い時でも無いです」
「じゃあ無理かな〜」
 リオンさんは耳をピヨピヨさせながら難しい顔して俺を見上げた。とっても可愛くて、俺もじっと見下ろしながら訊いた。
「無理って何がですか?」
「仕事のさ、知り合いがさ。イケメン探してんだよ。アーティストのアルバムのジャケ写に使いたいんだって」
「へ〜……」
「お前さあ、やらない? 今日打ち合わせに来るんだよソイツ。借りがあんだよ、世話になったからさ」
 休んでいた俺の脳はまたゆっくりと動き出したみたいだ。リオンさんの仕事に少しでも関われるかも。関われなくても、どんな仕事をしてるのか知る機会かも。
 いつも俺のことをペットみたいにしか扱ってくれないリオンさんが、初めて俺を頼ってるような目をしてる。力になりたい。俺も、リオンさんに貸しを作りたい。世話したい。
「いいですよ」
 と言うつもりで口を開いた。俺の喋り出す気配に、リオンさんは期待するような表情になる。
 でも、何の声も出せなかった。
 モデルなんてやったら、昔の自分に戻ってしまうかもしれないから。


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