君のことよく知らないけど 〜延長戦〜

16. 三怜

「外出しできます」
 我慢する、我慢する、と心の中で念じながら、俺は答えた。リオンさんは、信じてるんだか信じてないんだかわからない、何だかぼんやりした目で俺を見た。
「もう我慢できない〜とか言って暴走しないでね」
「……何ですか、それ」
「お前の真似」
 ひどい……全然似てないし……。
「俺、そんなこと言わないです」
「だといいけど」
 リオンさんは自分の眉の辺りを手でかきながら、ぼんやり答える。リオンさんの眉は素敵だ。髪と同じ黒色で、眉頭から眉尻にかけて、うっとりするような曲線を描いてる。その下の目も素晴らしい。目が合うと、俺はいつも心臓及び呼吸が停止しそうになる。
 クラクラしながらリオンさんの姿を眺めていたら、リオンさん、脱ぎかけたデニムをまた脱ぎ始めた。やらせてくれるんだ。ほんとに息が止まりそうな気がしてきた。
 じっと見てたら、「何見てんだよ」って顔で睨まれた。
「脱がねえの?」
 リオンさんは下だけ脱いで、上はシャツを着たまま言った。俺も、「上は脱がないんですか?」と聞いた。
「脱いで欲しい?」
「脱いでください」
 俺は自分の服を脱ぐのも忘れて、リオンさんに飛びかかってしまった。
 リオンさんは「うげっ」って顔してまた俺を睨んだ。さらに俺の腕が喉にぶつかったせいで、ゲホゲホむせるハメにも。
「あ、ご、ごめんなさい」
「ちょっと落ち着けよ」
 下半身丸出しなのに、上は真っ白な開襟シャツをきっちり着ているリオンさんに、俺は全身の血液が濁流となってペニスに集まるのを感じた。落ち着いてなんていられる訳が無い。
「リオンさん……」
 リオンさんとセックスするの、これで3回目だ。これから何回できるんだろう。
 どんなことでも覚えて置きたくて、リオンさんとのこと、俺は日記に書いている。本当は撮影して取っておきたいけど、許可が降りなかった。「お前、悪用しそう」だからだそうだ。そんなことしないのに。俺、あんまり信用されてないみたい。
「三怜、息が怖ぇよ」
 リオンさんが俺の耳元で呟く。俺、興奮しすぎて、リオンさんの顔を舐めましながら過呼吸みたくなってたみたい。
「あ、す、すいません……」
「脱ぐからちょっと離れて」
「えぁ、む、むりです」
 リオンさんが苦いものでも食べたみたいな顔で俺を見上げてくる。俺と目が合うと、彼の左目の下の皮膚は痙攣した。すごい引いてるのわかるけど、自分じゃどうしようもない。
「お前が脱いで欲しがってんだろ? どーすりゃいいのよ」
 俺の肩を前腕骨で押しのけるようにしながらリオンさんは俺を見上げる。上目遣いになると、白目がものすごくキレイなのがよくわかる。生クリームのように白く、月のように発光している。
「わかりました……」
 俺はすごく、ものすごく苦労してリオンさんから体を引き剥がすと、彼が服を脱ぐところを眺めた。白いシャツのボタンが上から順に外れていく。ボタンが一つ外れるごとに、股間に血流を送るポンプが強く押し出されるような感覚。
「お前、顔白いよ。大丈夫?」
 全裸になったリオンさんが心配そうな目で俺を見る。「血が全部ちんちんに行きました」とは言えない。「大丈夫です」と掠れた声で答える。
 本当は全然大丈夫じゃない。これからリオンさんを俺のものにすると思うと、胸郭が震えるくらいドキドキして、頭がクラクラして、軽く吐き気すら催す。
 セックスしたからって、体内に入ったからって、自分のものにしたことにはならないなんてわかってる。リオンさんだって、絶対そんなつもりじゃないし、俺がそんな風に感じてると知ったら怒り狂って殴られそう。でも。
 多分俺はそんな気分になってしまうと思う。
「……いやお前も脱げよ」
 吐き気を堪えながらリオンさんを見つめ続けていた俺に、リオンさんが突っ込んだ。慌ててシャツを脱ぎ捨てる。二人とも全裸でベッドの上にいると、本当に恋人同士って感じがして死ぬほど嬉しい。
 多分リオンさんは〈約束〉だから俺と恋人の〈体〉で居てくれるんだろうけど、他にそんな関係の人もいないみたいだし、リオンさんって友達も居なさそう。家族とも、全然連絡を取ってる気配がない。つまりこの宇宙で俺が一番、彼と親しい人間だと思う。今のところ。それだけで……って言うか、それで十分、俺は満足していた。その上こんな風に普通の恋人同士みたいに過ごせるなんて。吐き気がさらに押し寄せ、思わず手の甲を唇に押し当てたら、リオンさんが目を細めて俺を見た。
「お前、俺のベッドで寝ゲロすんなよ」
「し……しませんよ、飲んでないし……」
 口の中に溜まった唾液を喉の奥に押し戻しながらリオンさんの手首を掴む。硬い骨の感触と、リオンさんが微かに嫌がる気配。胸の奥がキュンとして、その衝動のままに手を引っ張って彼の体勢を崩しながらのしかかる。すべすべして温かい体。その背中の下から、ふわふわの尻尾が覗いている。ふわふわを注視しながら手を伸ばし、リオンさんの耳に触れる。一瞬嫌がるように片耳を寝かせた後、諦めたように元に戻る。気絶しそうなほど気持ちいいその手触りを指でこねくり回しながらリオンさんの唇にかぶりつく。冷たくていい匂い。俺は離れられない。
「俺、挿れるの久しぶりです……」
 耳を触っていない方の手をリオンさんの背後に回す。尻尾は触ったら怒られるかな。まだだめかな。迷いながら腰の辺りを触る。
「俺は久しぶりじゃねえからだいじょーぶ」
 リオンさんがにやにやしながら言った。心臓が引きつれるような鋭い怒りが俺を突き上げた。
「……ふざけんな」
「は?」
 リオンさんが目を丸くして俺を見た。その顔を見て、俺は自分が悪態をついていたことを知った。リオンさんにムカつくなんて。でも最近たまにそう言うことがあるのは自覚してた。リオンさんて、わざとかどうか知らないけど、こっちの神経を逆撫でするようなことを挑発的に言ってくる癖がある。俺が彼に夢中なことを知ってる癖に、十分すぎるくらい身に染みてる癖に、俺がショックを受けるような事をわざと言うんだ。それでも俺が怒ったり、離れたりしないから。
「何? 怒ってんの?」
 リオンさんはびっくりしたように、なぜかちょっと嬉しそうな明るい声で訊いてきた。
「……なんでもないです」
 なんだか怒ったら負けな気がして、俺は苛立ちを押し殺し、その分また執拗に彼の耳を掴んだ。リオンさんは少し痛そうな顔をした。すっと怒りが引きそうになった。
「好きです」
 リオンさんの肛門の粘膜に指を押し付けながらリオンさんの唇に呟いた。俺の悪態には反応する癖に、告白には何も返してくれない。このまま突っ込んでやろうかなと思いながら指に力を込めたら、
「ちょっと、なんかつけて」
 と顔を離される。
「久しぶりじゃないんでしょう?」
 膝で彼の太腿を割ると「やっぱ怒ってんじゃん」と笑われる。なんで嬉しそうなんだろう……。
「……怒ってないです」
 リオンさんが無言でパタパタと手を伸ばすので、仕方なくその先にあるサイドデスクの引き出しを開けてローションを取り出した。指と粘膜に塗りつけて、器官の中を確かめる。リオンさんは何だか遠い目をして俺には見えない何かを見てるみたいだった。


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