君のことよく知らないけど 〜延長戦〜

14. 三怜

 リオンさんのために、俺は100%犬に成り切ることを決意した。
 
 リオンさんが他の男に抱かれてるのを見るのは、想像の500倍くらいキツかった。キツすぎて、最初の20分以降の記憶がほとんどない。ハイスクールの頃、心理学の授業か何かで、防衛ナントカという心理の働きについて教わったことを思い出す。強すぎる精神的ダメージから、その防衛ナントカが俺の心を守ったんだと思う。人体って、よく出来てる。
 アマデオのこともきっと殺したくなるだろうと思っていたけど、殺すよりは、リオンさんを手に入れるために何でもいいから盗んでいこうと思った。リオンさんが彼の何かに惹かれていることは見ればわかったから。防衛ナントカのせいであまり覚えていなくても、それくらいはわかってしまった。思い知らされた。
 リオンさんが彼を見る目や、名前を呼ぶ声の欠片が記憶をよぎる度に、俺の脳と心臓は悲鳴を上げ、思い出すなと忠告してくる。思い出したら終わりだって、自分でも思う。アマデオを殺せないなら、俺が彼になるしかない。
 それでまあ、こうなった。とりあえず犬になろうと決めた。

 リオンさんの犬になるのは、そんなに難しいことじゃない。コツは言葉を喋らないこと。無邪気に見つめること。たとえ頭の中身が邪悪だったとしても。
 喋らないことは問題ないと思ってたけど、俺はつい彼の名前を呼んでしまうから、それだけがなかなか難しいポイントだった。
「リオンさん……」
 俺がうっとりしながら声をかけると、リオンさんは顔をしかめてこう言う。
「お前、喋る犬見たことあんの?」
「あっ……ごめんなさい」
「…………」
「……わ、わんわん」
 これで初めて彼の笑顔を勝ち取れる。最初は大変そうだと思ったけど、俺はがんばろうと思った。リオンさんにニコッとしてもらえると胸がきゅんとするし、俺の言動で彼が興奮してくれたら俺も嬉しいから。
「わんわんっ」
 わんわん言ってればリオンさんは結構好きにさせてくれることがわかったから、何をするにもわんわんクンクン言うことにした。どんな時も俺を骨抜きにする彼の腰骨にすがり付き、匂いを嗅ぎながら甘えるのは俺にとっても超たのしいし。
「三怜、」
 リオンさんは犬にするみたいに俺の頭をかき回しながら言う。名前を呼ばれたら返事はしないで、代わりに上目遣いに見つめる。俺はあなたの忠実な犬です。なんでも言うことを聞くから可愛がってと心を込めて。これは特に意識しなくても、いつも思ってることだからそんなに難しくない。
「お利口さん。ご主人様と遊びたいか?」
「わん」
 自分の顔を可愛いと思ったことは一度もないけど、俺は今超かわいいトイプードルか、チワワか……他にあんまり犬の種類を知らないんだけど、まあとにかく何か小さくて家で飼われてるような犬なんだと言い聞かせて、リオンさんの瞳を見つめる。
 自己暗示が功を奏したのか、じっと見てるとリオンさんはとろけるような笑顔になって俺を見下ろす。
「お前は美人だよ、三怜」
 ピンと立っていたリオンさんの耳が、少し横向きにフニャッとなった。アマデオに犯されている時も、こんな耳をしていたっけ。胃液が逆流しそうになったけど、俺は今可愛いワンちゃんなんだと念じ直して集中力を高める。ベッドでゲロをぶちまけるのは、あんまり可愛くない。
 吐き気を押し殺し、くんくん鳴きながらリオンさんの腰から上にも腕を伸ばす。フォークとナイフで切り分けたくなるような薄い腹筋にスリスリすると、リオンさんがまた頭を撫でてくれる。あのすらっとしたキレイな手で撫でられると、天にも昇りそうな心地がする。こんな風にしてもらえるなら、犬にでも何にでもなる。
「おいで、わんちゃん」
 見上げると、リオンさんは片手にクラッカーを持っていた。俺に餌付けするつもりなんだ。クラッカーなら当たりな方。この前なんて、テキーラに突き刺さっていたライムを食べさせられた。全然食べたくなかったけど、俺はがんばって欲しがるフリをした。本物の犬でもここまでしないと思う。
 お腹は空いてないけど、犬になり切ってクラッカーに顔を近づける。自分から用意したくせに、リオンさんてば「待て」とか言ってくる。別に欲しくなんかないから、もちろん大人しく待つ。そしたらリオンさんはニコニコしていた顔を一変させて、
「もっと欲しがれよ」
 とか言って俺を睨む。
「……わんっ」
 こうして俺は全然食べたくないクラッカーをもらえる事になる。これ、何かつけて食べるやつじゃないのかと思うけど……リオンさんの手から食べさせてもらえるなら、味覚も食感もどうでもいい。
 クラッカーを食べ終わっても、リオンさんの指をペロペロしていると、リオンさんはもう片方の手で俺の頭を撫でてくれる。夢みたい。犬になったからこそ享受できる僥倖。俺は生まれて初めて、犬という生き物に感謝した。
「三怜、」
 リオンさんが、リオンさんが……俺に手を伸ばして。俺の顔を触る。俺は彼の顔を見る。リオンさんの唇が俺の唇にくっつく。つまり、リオンさんの方から、キスしてくれた。
 俺はびっくりして……嬉しくて。最初は動けなかった。
 リオンさんの舌が俺の舌に触れる。リオンさんの手が俺のうなじに触れる。ゾクッとして、俺の腰が浮く。
「リオンさんっ」
 体を起こして、リオンさんに抱きつく。リオンさんは俺の胸を押して言った。
「三怜。わんわんは?」
 俺のヨダレで、リオンさんのシャツの襟元が濡れた。リオンさんは俺の唇を指で拭いながら笑った。


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