君のことよく知らないけど

2.

 リオンと初めて出会った時のことは、忘れない。
 シャーリーに連れられて席に向かったら、ソファーに包み込まれる様に体を預けたキャットレイスのお兄さんと目があった。ふわふわした黒い三角の耳が、頭の上でピンと立ち上がり、その後ピンピンと元気よく上下に動いた。女の子のキャットレイスは何度か見たことあったけど、男は初めて見た。
 リオンは眠そうな目で俺を頭から爪先まで眺め回し、つまらなそうな表情でシャーリーに頷いた。その間も、ふわふわの耳が左右セットで元気よくピクリピクリと跳ねていた。
 こんなに可愛いものを見たのは生まれて初めてだと思った。
 隣に座ると、俺に場所を譲る様に、尻尾がゆらりと動くのが見えた。きつねの尻尾の様に太く、もこもこした立派な尻尾だった。付け根のところだけ、絵の具で塗った様に白い。体とつながっているところはどうなっているんだろうと想像し、彼を見た人間は全員それを考えるだろうと思うと、なんだか気分がもやもやした。
 横目で盗み見た尻尾の付け根は、黒いデニムに包まれていた。レモンイエローのTシャツはオーバーサイズ気味だけど、ジーンズは多分女物だ。靴は焦げ茶のトングサンダル。足首がぎょっとするほど綺麗だった。アクセサリーは黒いチタンのネックレスと、左手の人差し指に指輪がひとつだけ。シャンパンゴールド、石のないデザイン。何か文字が彫られているみたいだけど、近くで見ないとよくわからない。派手な服装じゃないのに、どことなく遊び慣れた雰囲気が目つきや態度から垂れ流れてる。
 挨拶しようとしたら、それより先に人間かと訊かれ、緊張しながら返事をした。アンドロイドと間違えられるのは慣れてる。年齢も訊かれて、これは少し迷った。お店からは、好きな様に答えるよう言われていて、女の人にはCSの年数を引いた年齢を答えていた。男の人にもそうすることが多かったけど、この猫ちゃんにはホントのこと知ってて欲しいなと思って、戸籍上の実年齢を答えることにした。
 リオンは大きな垂れ目を少し見開いて、驚いた様な顔になった。13年間もCSしていたから、34に見えないのは仕方ない。予想できた反応だったけど、またしても可愛い耳がびょんと立ち上がってぱたぱた動いたので、俺はデレッとしそうになって慌てて顔を引き締めた。これじゃあどっちが客だかわからない。
 リオンの年も知りたくなったけど、お客さんにそんなことは聞けなかった。知りたすぎて奥歯を噛み締めていたあの瞬間の俺に、「31だよ」と教えてあげたい。
 それからリオンのためにカクテルを作り、名前を名乗りあった。リオン・ノッテ。うっとりする様な俺だけの詩。偽名かもしれないけど、それでも良かった。彼にぴったりの名前だし、彼が俺に教えてくれた名前だから。
 俺は身寄りもないし、友達もいないから、別に困ることもないので店でも本名を名乗っていた。リオンが漢字を知りたがったので、震える指で端末に名前を書いて見せた。漢字なんて滅多に書くことがないから、あんまり上手に書けなかった。リオンは俺の下手くそな字を見てニヤニヤしていた。恥ずかしかったけど、嫌な気はしなかった。意地悪そうな表情がものすごく似合っていて、セクシーだった。
 〈マガ〉に来る前のことも訊かれたけど、これは最低限の返答にとどめることにした。自分の半分くらいの年の女の子に追いかけ回されてノイローゼになったことなんて、聞いてて気分のいい話じゃないし、俺もあんまり話したくない。なんか馬鹿っぽいし、子供っぽくて情けないし。
 答えなかったことで気分を悪くさせたらどうしようとも思ったけど、リオンはさらっと流してくれて、俺にも飲む様に勧めてくれた。嬉しかったけど、ちょっと困った。俺、酒乱気味なところがあって、外では極力飲まない。別に中毒じゃないから自制できるんだけど、好みの男の前では、ちょっと自信ない。
 迷ってる俺に、リオンは試すように追い打ちをかけてきた。きらきらした灰緑色の目が、悪戯っぽく俺を覗き込む。その瞳と、尖った犬歯(どうでもいいけど、猫なのに犬歯って変だよね)をチラ見せしてスケベに歪む口元を見てたら、俺だってほんとは思いっきり酔って甘えたいって気持ちに押し流されそうになった。
 アルコールを少量にすればいいかな、とか考えていたら、「強いの飲んでよ」なんてニヤニヤしながら言われて、俺、甘勃ちしそうになっちゃったよ。〈マガ〉で働く様になってから、遊び人の空気なんて慣れっこになってたはずなのに。この猫ちゃんは俺の好み過ぎたんだろう。リオンの顔付き、声、仕草の全てに当てられて、俺はなんだか腰の辺りがヘロヘロになってしまった。
 結局俺は誘惑に負け、彼の言いなりのまま強めの酒を作り、あと一杯だけ、あと一口だけ、ここまでにしよう、もう終わりにしよう、を繰り返しているうちに何が何やらわからなくなり、ある一点からプツリと糸が切れる様に記憶が途切れた。
 そこから朝までの記憶は、断片的にしか思い出せない。もったいないことしたと思うよ。俺、どっちかというとナチュラリストで、体、どこもいじってないけど、記録用のチップくらい入れとけば良かったって、何度も後悔したけどもう遅い。


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