流星に歌へ愛の詩

3. <さゆ・ニールセン>

 のりちゃんのスルースキルはすごい。
 仲良くなってから知ったけど、のりちゃんは有名税とでも言うのか、よくネット上で変な人に絡まれていた。有名税ったって、オタクの中の、さらに腐女子の中の、さらにさらに同人界隈という狭い輪の中の話なんだけど。Twitterやなんかで、よく主観的で支離滅裂なメッセージをもらっては、可愛い猫目のすぐ下の皮膚をヒクつかせていた。
「のりちゃん、可哀想。私が代わりに言い返してあげるよ、スマホ貸してっ」
 私はいつでも、のりちゃん本人よりも怒り狂って、カッカと血圧を上げていた。のりちゃんはいつでも、
「いい。こんなのブロックするだけだもん。自分で出来る」
 そう言って、赤ちゃんみたいな小さい白い手をするする動かして、ため息をつきながらスマホを仕舞う。もう慣れた、とか、平気、とか言っていたけど、毎回少しずつ傷を深めているのはわかっていた。なんとかしてあげたかった。私はいつでも、のりちゃんのために何かをしてあげたかった。

 のりちゃんのためにしてあげられたことが、私にはいくつあっただろうか。考えてみると、全くないと言っていいほど、私は彼女の役に立たなかった。出会ってすぐに、彼女の性的嗜好がこれ以上ないほどノーマルで、女には1ミリも興味がないことがわかったし。
 初めて二人で会って食事をした時、私はすでにのりちゃんに性的な興味を抱いていたけど、彼女は私のことを「ネット上で知り合った腐女子仲間」としか捉えていなかった。私は女の子とセックスしたことはあったけど、「興味を持つ」ほど意識したのは初めてのことで、どうしていいかわからなかった。
 今もはっきりと思い出せる。のりちゃんは向かい合わせに座ったファミレスのテーブルの上に両腕をつき、気まずそうにシルバーのブレスレットを細い指でいじくってた。私がそんなポーズをとれば、巨大なおっぱいがこれみよがしにテーブルの上にのしかかり、目の前にいる男の子は目が釘付けになり、あとはボーナスステージになるところが、のりちゃん相手にそんなことをしても何のボーナスもつかず、こっちの負けは確定。それどころか、「巨乳自慢してんじゃねーよ」と思われて嫌われかねない……。私はどんなポーズをとっていいかわからず、テーブルの下で組んだ両手を硬く握りしめていた。
「ルキさんって、オフ会初めてって言ってましたよね」
 ボーカロイドにささやきパッチを当てたような特徴的な癒しボイスで、のりちゃんは私に言った。ルキっていうのは、私のハンドルネーム。
「あ、はい。初めて」
 答えながら、なんて可愛い声なんだろう。何度聞いても、推せる。そう思いながら私はさらに強く両手を握っていた。
「あの……私と二人で会っても、つまんなくないですか? っていうか、つまんないですよね? 他にも知ってるサークルの人とか、声かけた方が良かったかな」
 のりちゃんは、私がSNSやスカイプで猛烈にアタックしていた理由を、「好きなCPのサークル主だから」としか思っていないらしかった。イベントの後に直接会いたいと言ったのも、単なるオフ会だと思ってる。まあ、単なるオフ会ではあるんだけど。
「いえ、花梨さんに会いたかったので、あの、花梨さんが私と二人で嫌じゃなかったら、私は全然……」
 花梨っていうのは、のりちゃんの個人サイト時代のハンドルネーム。SNS主体でやるようになってからは使っていない名前だけど、私は相変わらずその名前で呼んでいた。
 今考えると、いかにも「私は昔から知ってるファンです」みたいな自意識が漂っていて痛いんだけど、あの頃は痛くても何でも、私の存在をアピールしたくて、がんばっていた。のりちゃんも、それを許していてくれたし。
「……そうですか。私も、ルキさんに会いたかったですよ」
 のりちゃんて……お世辞が下手だ。何考えてるかとかも、全部顔に出る。
 仲良くなってからは、私にお世辞を言うことなんて皆無だったけど、最初の頃はこんなふうにがんばって気を遣ってくれていた。後から思い返すと笑えるんだけど、最初は社交辞令丸出しののりちゃんの言動に、私はいちいちショックを受けていた気がする。
「そう、ですか? すいません、ありがとうございます……」
「いえ、こちらこそ……」
 初めてのオフ会はこんなふうに気まずいだけで終わり、のりちゃんはきっともう一生会ってくれないだろうと、私は帰りの電車で少し泣いた。夜の田園都市線は混雑していて、扉を向いて立ってる私の顔なんて、誰も見てない。

 一生会ってくれないと思っていたのりちゃんから、思いがけず連絡が来たのはオフ会の2ヶ月後のことだった。
 ジムでバイクをこぎまくっていた私のスマホにのりちゃんからのラインが入り、通知に気づいた私は即座にバイクを降り、ジムの端っこの床に座り込んで両手でスマホを握りしめた。

『ルキさんお久しぶりです(私のこと覚えてますか?) 実は今度のイベントのことでご相談があるのですが……よかったら暇なときにでも連絡もらえると助かります』

 覚えてますか……? よかったら……? 暇なときにでも……?
 私があれから毎週末、のりちゃんのツイートから暇な日程を割り出して「またご飯でも」と声をかけたくてジリジリしてたのをご存知? と、鼻息を荒くしながら私は返信を打った。

『花梨さんお久しぶりです! もちろん覚えてますし、連絡もらえて嬉しいです♪ イベント、もちろん買いに行く予定ですよ〜、私なんかでよければ、なんでも言って下さい!』

 バイクによる疲労とのりちゃんによるドキドキで、心臓が爆発しそうだった。ラインじゃなくて、電話がしたいな。なんて思いながら、のりちゃんの声を思い出す。すっごく可愛い声。顔も、とっても可愛い。早く、また会いたい。会えると決まったわけじゃないのに、一通のラインだけでここまで発想が飛躍する自分が怖い。
 汗を拭いてポカリを飲んでいる間に、のりちゃんから返事がきた。

『返信ありがとうございます、実はイベントで売り子を頼むはずの友達が急に来れなくなってしまい……もしルキさんの都合がよろしければ、サクチケ渡しますので一緒にブースに入ってもらえませんか? 少ないですけど謝礼も用意します。どうでしょう?』

 このラインを見て、奇声をあげないファンがいるだろうか? いや、いない。
 私は「ぎゃーっ」と叫びかけて、ここがジムであって自宅ではないことを思い出し、奇声をポカリで喉の奥に押し戻した。


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